みなさま。
本日は、わたしの父、吉田弥を送りだす会にご参集いただきまして、
ほんとうにありがとうございます。
ただいまは、うれしくもありがたい弔辞のお言葉の数々、
そして、思いがけなく力強い若草萌ゆるの大合唱の歌声を
聞かせていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。
父は、いわゆる、いまでいう「草食男子」でした。
腕力はありませんでしたが、
言葉を縦横無尽に操って、ひとの心を金縛りにする名人でした。
とくに、柔らかな魂を持った
十代の男子生徒に、女子生徒に、ハッパをかけ、発奮させ、
彼らの心に灯をともす技に、たいへん通じておりました。
もちろん、父のひと言によって、
運命の歯車を大きく狂わせてしまった生徒さんも
いらしたにちがいありません。
父はそのことについても、忸怩たる思いを抱いていたようで、
「なになにくんは、わたしのことを恨んでいるかもしれないなあ~」
などということを、夕食の済んだあとなどに、
ぽつんと、口にすることがありました。
わたしは、ちいさな子供の頃から、
彼の生徒ではない、たんなる娘でしかないじぶんが
残念で仕方がありませんでした。
父の生徒ではなく、娘でしかない自分は、
あきらかに、彼の優先順位のなかで、
生徒さんたちに、大きく差をつけられていたからです。
夜、自宅に帰ってから、今日の授業がどのくらいうまくいったかを
母に話しているときの父は、あきらかにうれしがり、
興奮していましたし、
休日にわが家を訪れてくださる生徒さんたちに囲まれて
ぶちあげる笑い話を、隣の部屋から盗み聞きするとき
それはほんとうに、楽しいものでした。
吉田弥の、
須賀川高校の、安積高校の、船引高校の、生徒になれなかったことが、
わたしの人生いちばんの「ないものねだり」で、
人生最大の敗北でした。
父は、わたしの理想でした。
父は、わたしの憧れでした。
父は、わたしの教科書でした。
父は、わたしにユーモアの玉手箱を惜しげもなく開いて見せてくれました。
父は、わたしの太陽でした。
父は、わたしの永遠でした。
父は、わたしの理解者でした。
父は、わたしの親友でした。
でも父は、わたしの弱点でもありました。
父は、わたしのバイブルでした。
ときどき父は、神だったりして。
そして父は、わたしの、信仰でもあったのです。
でもこれらは、ぜ~んぶ、
わたしにとっての父のハ・ナ・シ(笑)。
個性の強い人でした。
みなさんどうか、お一人おひとりの心の中の「吉田弥」について、
思いおこしていただけましたらさいわいです。
本日はほんとうにありがとうございました。
2010/11/24 yuri spoke@須賀川斎場