笠原敬太様
(安積高校103期) 剣道部 智剣26期
2023年12月24日
30年以上前に吉田校長が安積高校の全校集会で何度も言っていた「念ずれば花ひらく」

繰り返す言葉の、言霊の力に行動が促されることがある人生が進むことがある。

文武両道、質実剛健、開拓者精神の校訓を受けて
勉強に剣道に頑張っていたあの頃は自分のことで無我夢中でしたが、吉田校長の情熱と思想が校内に満ちていたのだと思います。そしてその念のエネルギーが自分を支えていてくれたのだと気づきます。

「念ずれば花ひらく 苦しいとき/母がいつも口にしていた/このことばを/わたしもいつのころからか/となえるようになった/そうしてそのたび/わたしの花がふしぎと/ひとつひとつ/ひらいていった」
坂村真民

ご冥福をお祈り申し上げます。
吉田有理
2013年02月13日
松井秀喜が引退しました。

2012年12月27日、ニューヨーク市内で開かれた記者会見。
彼の心境は、静かな諦観と、激しい無念に
二分されているように見えました。

「大事な試合で、結果を出すことができれば、よかったんだけど…」
と、感情を抑制しながら、静かに語る松井秀喜の姿に
父はきっと、自分の思いを 重ね合わせたんじゃないかな、
って思いました。

職を退いてからの父もまた 「あのとき、将来を迷うあの生徒に、  
あぁ答えればよかったんだけど…」とか
「あの生徒の、あの質問に、どうしてあのとき、あんな答えしか
できなかったんだろう…」などと、
繰り返し、考えつづけていたからです。

プロ野球生活で最高の思い出は?
という、新聞記者からの質問に対して
「長嶋監督と、毎日2人で素振りした時間です」
と、松井選手は答えました。

父ほどの長嶋ファンでも、松井ファンでもでもありませんが
わたしもまた、スポーツ選手以上に
ロマンチックな存在を、ほかに知りません。
綿貫菜穂子様
2012年07月14日
私は吉田先生を直接には存じ上げないのですが、母が50年前に須賀川高校でお世話になりました。
母がたまたま吉田先生のご著書の存在を知らされてお借りし、娘の私も拝読させていただきました。

こんな先生が、いらっしゃったんですね…。
私は子供のころから「学校」が嫌いで、日本の教育に対しても良い未来は感じていませんでした。
しかし吉田先生の教えを受け取った方々が、福島をはじめ日本、世界各地にいらっしゃるということで、何だか小さな希望の光が点々と灯っているような気がしました。

何度も読み返したいので、全ページをスキャンしてプリントし、母にプレゼントしてから持ち主の方に返しました。
今後、この素敵な本があらためて出版されることを期待しております!
吉田有理
2012年06月01日
マイナーからレイズに昇格したデビュー戦で、
松井秀喜が、2ランホームランを打ちました。
いろんなスポーツをウォッチしていると、
最初の試合、最初の打席、最初のレースのさばき方や
結果の出し方が、彼らのそのシーズンの活躍に
関わってくることがよくわかります。
でも、これはわたしのスポーツの見方であって、
父の松井への応援の方法は、
もっと熱狂的で、もっと盲目的なものでした。
所属球団が決まらないまま、
2012シーズン開幕を迎えた松井。
元同僚のジョン・フラハティは、
一般の人も利用するニューヨークの公園で
黙々とトレーニングする彼の姿を目撃したそうです。
5月になって、ようやく
レイズとのマイナー契約が成立。
「野球がしたいだけ」と語った、入団会見。
そんな彼が、メジャー昇格第1戦、
本拠地のWソックス戦で、
右翼席にグングン伸びるホームランを放った。
そのうえ、ダイヤモンドを回る彼が身につけていた
ユニフォームの背中の数字は「35」!
長嶋茂雄の番号をひとついただくなんて、
なんとも粋なことをしました。
父ならきっと、今日までずっと
松井がいないメジャーリーグの試合中継は、
テキサスもニューヨークも、一切見ようとは
しなかったでしょうから、
この日が父にとっても、開幕戦に
なったのではないでしょうか。
復活の日を信じて願をかけるような、
そんな子どもじみた振る舞いが好きでした。
DHではなく左翼でのフル出場。この日の松井は、
心配された守備も軽々とこなしました。
今夜のキリンラガービール、
最高においしい一杯になったことでしょう。
吉田有理
2011年07月22日
松井秀喜選手が、昨日のタイガース戦で、
とうとう日米通算500号本塁打を放ちました。
高々とアーチを描いて右翼ポールを直撃する、
松井らしいホームラン。
あと1本!になってから、なんと1ヵ月以上の
お預けでした。
「1ヵ月も、ワクワクさせてもらいましたよ」って
父なら片目をつぶって、そう言いそう。
1特大ホームラン
2いつもながらの礼儀正しくユーモアにあふれたコメント
3快挙を喜ぶミスター長嶋
まさに、うれしさ3連発。
今日のスポーツ報知を、きっと何度も何度も
読み返していたでしょう。
吉田有理
2011年07月06日
父はかなりの物知りでした。
でも、ただの物知りではなくて
いつだって、こちらの予想もつかない切り口で
物事をとらえて、持論を聞かせてくれるのが常でした。
「こんどはどんな解釈で来るかしら?」「次は何を言いだすかしら?」
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、事件と呼ばれるような何事かが
起きるたび、わたしはいつもワクワクしたのです。
今回の震災を、父ならどんな視点で語ったことでしょう。
科学哲学的に論理を展開しながら、人類や現代社会を嘆いたかもしれません。
あるいは、原発利権についての静かな怒りで、問題をぶった斬ったかもしれません。
それとも、万葉集で歌われている津波について、たくさんの歌を例に引いてセンチメンタルに、あるいは情熱的に、語ってくれたかもしれないなァ……。
いつだって、魔法みたいに
相手が考えてもいなかった斬新な切り口を
ぱぁっと目の前で開いて、惜しげなく見せてくれたあの父が
誰もがみんな知っている
震災が起きたことも、原発が水素爆発を起こしたことも
たくさんの人たちが避難している故郷の困難な状況のことも
何も知らないままだなんて……
わたしは不思議でたまりません。
吉田有理
2011年06月27日
アスレチックスの監督が変わってから、
松井はいっぱい試合に出ています。
先発出場でレフトの4番に定着。守備でもがんばってる。
日米通算500号ホームランまで、あと1本に迫っています。
吉田有理
2011年03月08日
今年からオークランド・アスレチックスに移籍した松井秀喜が、
オープン戦4試合めにして、初ヒットを打ちました。
相手は、昨シーズンのサイヤング賞投手のヘルナンデス投手。
第1打席、ふらふらと上がってファウルのように見えた打球は、
風に押し戻され、レフト線にポトリ。
完全に打ち取られたはずの当たりが、なんと
オープン戦初ヒットになりました。
試合後のインダビューで、松井選手は
「狙い通りのバッティングでしたね」と、
澄ました顔して、答えていました。
松井らしい、この手の、礼儀正しい
ユーモアにあふれたコメントを聞いたなら、
きっと、大喜びしたことでしょう。
田母神俊雄様
2011年02月15日
吉田弥先生は本当に偉大な先生だったと思います。高校2年のときに初めて先生の現代文の講義を受けたときにこんな読み方があるのかと感動したことを覚えています。また先生は勉強だけではなく、人生如何に生きるべきかという指針を私たち生徒によく話していただきました。いつも大きな心で私たちを包んでくれていたように思います。私が自衛隊を退官して郡山で講演をすることになったときにも車椅子で駆けつけていただきました。昨年8月に磐梯熱海温泉で久しぶりに安高のクラス会があり先生にお会いすることが出来ました。先生には本当にお世話になりました。どうか安らかにお眠り下さい。
遠藤正一(安積高校94期)様
2011年02月14日
小林秀雄氏がそうでした。亡くなる直前まで、聡明な意識が衰えず、批評精神を貫いた。
昨年、5月にお伺いしたとき、「ニーチェの言葉」の話になり、びっちりと鉛筆書きで書き込みの本を見せてもらいました。約2時間、全く衰えを感じない聡明さ、格調高き言葉をいただきました。
弥先生が問いかけたものは何か?
50を前に、まだまだ若輩である自分に気づかせてくれました。時間はかかりますが、一つ一つ紐解いていきます。ありがとうございました。
ともちゃん様
2011年02月14日
大好きな校長先生とこれからの日々楽しく語り合えるように、勉強はいろいろしていきたいと思います。怠け者なので、心していかないと、校長先生に合わせる顔ないですもの・・・
川井美希様
2011年02月08日
新聞の記事を拝見して、大きな先生だったのだなぁと思いました。卒業して何十年と経ってから授業を望まれる先生なんて、そうそういないのではないでしょうか。
これから「教師~青春の伴走者として」も改めて拝読したいと思います。
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