未練はない、ゴー!

駅のコインロッカーに荷物を預けようとしてキー番号を見ると715である。あらっ、と一瞬何かが交錯。そうだ、わたしの「松田聖子ファンクラブ会員番号0000715」と同じ数字なのだ。それに気づいて心のどこかがポッと熱くなった。現在の彼女のファンクラブは「Fanticlub(ファンティックラブ)」と名前を変えて組織替えした。しかし、番号はそのまま移行し、なが~い付きあいの特別の数字となった。わたしにとっては、東京で一人暮らしを始めた大学生時代に、なけなしのお小遣いをはたいて入会して以来のラッキーナンバーでもある。
ひとり追っかけの私は、たびたび彼女のコンサートに足を運んだ。日本武道館のコンサートでは、幕間に彼女のお父さまやお母さまが気軽にファンと会話する様子をちょっと羨ましく見ていたし、そのときどきの結婚相手と愛娘沙也加ちゃんが2階席からニコニコ手をふるさまも間近に見てきた。そんな筋金入りのファンっぷりをよく知っている広告会社の友人が強く推薦してくれたおかげで、全米進出アルバム「Seiko」の日本国内向けポスターや雑誌広告のコピーは、わたしが書かせていただいたのだ。年末のある日、刷り上がりのポスターを握りしめ、成田で待つこと数時間、帰国した聖子ちゃんが眼をしっかり見つめながらかけてくれた「ありがとう」のひと言は、紋切り型ゆえにまさに魔法の言葉であった。
久留米訛りを封印し、クルクルドライヤーで紡ぎだす前髪の一本一本に全身全霊をかけて夢の美少女に変身し、ピンクに光る雲の階段を駆けあがっていった奇跡のオンナノコ。歌も英語も努力の結果。コンサートでの客あしらいなんか、昔からうまかったけど、いまではまるで美空ひばりの域に達している。
仕事においてときにカッコワルイ突撃精神や泥臭い粘りを発揮して回りを唖然とさせてしまうわたしは、彼女から、田舎者の“ど根性”は恥ではないこと、夢を語るときはより具体的に目標を語るべきだということを教わった。
0000715と書いて「みれん(000)は(0)ない(71)、ゴー!」と、読む。その語呂合わせは、大げさに言えば、都会で生きていく田舎出のオンナノコを励ましてくれる“聖子のおまじない”だったのかもしれない。

♯7 YURI wrote:2010/10/31

忘れんぼクイーン。

最近Zoffでメガネをふたつ購入した。太いフレームが特長の個性的な赤いやつと、よくあるスクエアな黒いやつ。デザインがイマっぽいし、電車でスポーツ新聞を熟読するときに便利。それなのに、同じ日にふたつともなくす失敗をしてしまった。しかし、わたしは、じぶんが忘れた物のありかをきちんと遡って正確に予測できるという特異体質。お洒落な赤い方は、銀座駅だろう。地味めの黒い方は、大手町にちがいない。(場所柄に合ってるところもなかなか。これはもう、自信マンマンの忘れ物である。)
「東京メトロお忘れ物総合取扱所」に電話をする。なくしたと思われる場所、時間、メガネの特長を伝えると、ふたつともあっけなく見つかった。赤い方などは“昨日の午後2時15分頃、銀座線銀座駅浅草行きホームの中程のベンチに座ってるとき、ポッケから落ちたんじゃないかと…。メガネの特長は赤で、太いフレームの…”と、そこまでわたしが言うと“…フレームの裏側に千鳥格子の模様が付いてるやつだね。ベンチの椅子の下にあったみたいだ”と、あっさり後を引き取って係の男性がハモってくださる。
別の日、東京駅。到着した新幹線の窓に顔を押し付けて爆睡していたら、ホーム担当の駅員にガラスを外側から拳でドンドンと叩かれて暴力的に起こされた。無人の車両から、立ちくらみを起こしながら逃げるように下車したので、脱いで丸めて枕にしていたカーディガンを席に忘れてきてしまう。お気に入りだったが電話を掛けるタイミングがなく、数日過ぎてから「JR東日本東京駅お忘れ物取扱所」に電話する。乗っていた列車の号車、座席番号を伝えると“はいはい。お忘れ物はたしかにお預かりしてましたが、保管期間が過ぎたので飯田橋の警視庁遺失物センターに移送しました”とのこと。
翌朝、家を少し早く出て、とぼとぼ雨のなか飯田橋の遺失物センターまで取りに行く。歩くと駅から結構遠い。カーディガンはビニール袋に入れられてしっかり保管されていたが、身分証明のために求められた運転免許がいつものお財布のなかに見つからない。
「なくしちゃったのかな。どうしたんだろう」とあわてる。
「せっかくだから、免許証の遺失届けも出しますか」と係の女性。
「いや、ありました!定期入れのなかに。このあいだビデオ屋で出してそのままだったんだ!」てなやり取りがあって、書類を書くのに手間取ってしまう。外に出ると雨はすっかり小降りになっている。傘を忘れてきたと気づくのは、その夜も更けてからのこと。
その翌々朝、再び遺失物センターへ向かう。
「うふふ。おっちょこちょいで」と話しかけると、制服を着用した受付の若い男性は、パソコンの画面を見つめながら黙ってうなずく。
「やっぱりここに来る人って、おっちょこちょいが多いのかな」と質問してみる。
「私の口からは申し上げられませんね」こちらをチラッと見てそっけなく答える。
「個人的な印象としてはどうでしょう」と、食い下がるわたし。
「そうですね。吉田様同様、忘れものを取りに来て忘れものをしていく人、めっちゃくちゃ多いです」
「あはは。蟻地獄ね。死ぬまで出られない」
新品のピンクの傘は、ビニール袋に入れられてきっちり保管されていた。
「今回のお忘れ物は、前回のお忘れ物とはワケが違うんで。書類とか書かなくていいですから」という言葉に、エヘラエヘラのけぞりながら傘を受け取る。
こうして、蟻地獄から無事に脱出。お財布OK!ケータイOK!……本日の忘れ物がないことを指折り数えるわたし。2日ぶりに再会した傘を手にして見上げる空は、まぶしいばかりの秋晴れであった。

♯6 YURI wrote:2010/10/24

ごめんくだシャイ。

いままで何度も「ホームページを作ってあげるよ」という話はあったが、乗り切れなかった。なかには、デザイナーの友人が「無料で作ってあげるよ」なんていい話もあったのだけど、踏ん切りがつかなかった。その理由はやはり“恥ずかしい”という一点に尽きる。つねづね肉食系行動の多いわたしには“恥ずかしい”とか“シャイ”という言葉は似合わないと思われがちだが、じつは、だれよりも気がちいさくて、じぶんに自信がない。「わたしはここよ!」って大声で叫んでしまうくせに、他人の視線を感じたとたん、あっという間に身を隠す。ホームページに関してもそんな雰囲気だったのです。
ところが昨年末、学生時代からの友人A氏が独立し、ゲームやネットビジネスの会社を立ち上げることになった。ホームページの制作なんておちゃのこさいさいである。「じゃあ、開店祝いだ!うちの事務所のホームページも、お願いしちゃお!」なんてことを、口走ってしまったわたし……。開店するのはオマエじゃない、A氏でしょ、という声がココロの中で聴こえたが、お礼参りだ、勢いだ。
そしてできあがったのが、この吉田有理オフィシャルwebサイト。オフィシャルというのは、半分ジョークだが、コンセプトどおりのアイドルっぽい仕上がりだ。A氏の会社のウェブデザイナーMちゃんが、もったいないくらいかわいく作ってくれた。ありがとう。オープンは、なんと2010年10月10日午前10時きっかり。晴れの特異日。そのうえ、前回のコラムに登場ねがった、ワニ使い?であった祖母の命日でもある。
言いふらしたいのは山々だが、結局、恥ずかしくて、オープンを知らせたのはまだほんの数人だけ。「わ~い!Googleの検索順位がまた上がった!」と喜んではみるものの、訪問者は、たぶん……わたし……。恥ずかしさをかなぐり捨てて作ったつもりだったのに、みんなに知らせなくちゃ!という次のプレッシャーに、すでに負けそう。顔から火が出そう。心拍数が100超えしそう。……こんなヘナチョコ女のサイトですが、みなさんよろしくお願いします。

♯5 YURI wrote:2010/10/16

鰐とおばあちゃん。

母方の祖母、名前は「きい」。ちょっぴり奇異な名前だが、祖父が早く亡くなった後、北国の町で日本料理店を切り盛りしていた。そう、料亭の女将である。色の白い、声のきれいなひとで、仲居さんや芸者さんから“おねえさん”と慕われていた。ある日、新しもの好きだった伯父がなにを思ったか、生後3カ月になる子ワニを2匹買ってきた。いずれ人間の子どもなどは優に追い越す体長になることなど、誰ひとり知るよしもないままに……。
半年後、庭園で遊ぶ2匹のワニは人気者になった。岩の陰からひょいと顔を出すコンニチワニ。枝ぶりのいい松の幹によじ登ろうとするクライミング・ワニ。瓢箪池にボタッと飛びこんで鯉と一緒に泳ぐスイミング・ワニ。庭に面したお座敷席は予約で埋まり、県外からやってくるマイクロバスも増え、興がのったお客は2階の大広間の窓から惜しげもなくお刺身の端を投げ落とす。
だが、ワニたちは、祖母以外の人間は完全無視だと決めこんでいた。朝昼夕、大きな口を180度、ぱか~っと水平になるまで開いて、大きなバケツ2杯分の生きたドジョウを食べさせてもらうのも、祖母まかせ。食べ終えると尻尾をバタバタ振って大喜びし、夕方、ホースで庭木に水を撒いている祖母の姿を見かけると大慌てで近づいてきて“水かけて~”と地団太を踏む。そんなとき、祖母の横顔は上気し、アマゾンのジャングルの、いや北国の街の夕映えを反射してキラキラと輝いていたものだ。
しかし、和風庭園で放し飼いにされていたワニたちはますます巨大化。とうとうある夜中、大人の身長ほどもある頑丈な塀をよじのぼって隣家の庭に侵攻。翌朝、ラジオ体操に起きてきたご主人が悲鳴をあげて救急車で運ばれるという事件に発展。対策を余儀なくされた伯父は緊急家族会議を招集。動物園に寄付だ!
いや、ハンドバックに!唐揚げがうまいらしい!
などという、ありとあらゆる意見が出尽くすなか、剥製にすることを決断したのは、祖母自身だった。

わたしは子どものころ、祖母の自室で大切にされていたワニの剥製の背中に乗ってよく遊んだ。ハンドバックにすればよかったのに……、と伯母たちは、いまでも残念そうに口にする。

♯4 YURI wrote:2010/10/04


未練はない、ゴー!
♯7 wrote::2010/10/31

忘れんぼクイーン。
♯6 wrote::2010/10/24

ごめんくだシャイ。
♯5 wrote:2010/10/16

鰐とおばあちゃん。
♯4 wrote:2010/10/04