長いお別れ

30年くらい前、気になる海外の自動車広告があった。
ビジュアルは、2台のクルマのフロントの写真を左右に並べただけ。
車種は、一方がBMWで、一方がマセラティ。
まん中に、思わせぶりなコピーが1行。The difference between the beer and the wine.
「ビールとワインの違い」ってことね。広告主は、マセラティの方だった。

パラパラとめくっていた海外の自動車雑誌の中にこの広告を見つけたとき、あまりの渋さに、シビれてしまった。
当時の日本では、まだ比較広告が許されていなかったし、ドイツ車とイタリア車の差異を、ビールとワインに例えた表現はイカしてた。

ちょうどその頃、カレシ(後のダンナ)がマセラティ・スパイダーに乗っていて、その赤のマセラティが、まるで磨かれた家具のように艶やかで、そのくせ、めちゃくちゃ速くて魅力的だったので、そうね、やっぱりビールよりワインよねと、心の中で唸ったのだ。

ところが、その数年後、ダンナのクルマのハンドルを握らせてもらう立場からそろそろ脱け出したいと思ったわたしが(なにしろ、運転があまり上手くないので)はじめて買った自分名義のクルマは、ドイツ生まれのフォルクスワーゲンのPOLOだった。
子どもを幼稚園に送迎する目的で選ぶクルマとなると、ワインは悪酔いするから、ちょっとねということになるわけだ。

当時は仕事がしっちゃかめっちゃか。夜も日もなかったので、最初は、子どもは保育園に入れるつもりでいた。
近所の保育園の見学もすませて、ほぼあそこ!と気持ちは固まっていた。
だが、最終決定する前に、見ておきたい幼稚園があと一つだけあった。
その園は、制服も給食も登園時間も園バスもない。
つまり、なんにもないように見える。でも、中には最高!という親もいる。
チェックした方がいいよと耳打ちしてくれた人がいたからである。

ある日の午後、仕事が休みになったので、子どもを自転車の補助椅子に乗せて、急な細い坂道を登り、森の中にあるくだんの幼稚園を見に行くことにした。
時間は、閉園時間をだいぶ過ぎていたのに、木々に囲まれた園庭に入ると、のびのびと遊んでいる子どもたちがたくさんいた。
見ると、ただ遊具を使っているだけではなく、遊びのルールの中に、園児たち自身の創意がいっぱいに混じっている、そんな遊び方だった。
「閉園時間なんて大人の都合。子どもは遊びたいだけ遊んでいいんです」
と、園長先生が相好を崩した。
話を終えて外に出ると、子どもたちはまだ盛んに遊びつづけていて、お母さんたちは、木製の渡り廊下にゆったりと腰掛けて、遊びを見守りながら、ほがらかに会話をくりひろげていた。

さて、当時(今もだけど)わたしがしている広告の仕事は、昼より夜の打合せの多い仕事だった。
だったら何も、絶対保育園に!と決め込まずに、昼間はこの幼稚園で思いっきり遊ばせて、夜は夜でシッターさんの助けを借りて仕事に行けばいいんじゃない?とわたしは迷いはじめた。

「入園希望の方?もし、生の声が聞きたかったらいくらでもお話ししますよー」
「わたしたちも寒くなってきたから、お茶しましょうよー」
と、お母さんたちが、誰からともなく、友だちのように誘ってくれた。

数人のお母さんたちとファミレスに連れ立って、お茶を飲みながら話を聞くと、どうやら、どのお母さんも、のびのびと子どもを見守るこの幼稚園を 深く愛しているようだった。
「本当にいい幼稚園。ただ一つの欠点は、送り迎えのバスがないこと。
送迎は、自分の車でしなくちゃいけないの。体力があれば自転車で送り迎えできないことはないし、雨の日はわたしたちが順番で、お子さんをピックアップしてもいいけど、自由に使える車がないと、正直、3年間つづけるのは大変よ」
というのが、彼女たちの総意だった。

そういうことなら、ダンナさんのクルマを、毎朝、へいこら借りるのはムリだなと思った。
わたしのドライビングテクニックでは、送迎中の細い坂道でこすって傷をつけてしまう自信しかなかったからである。
初対面のわが子を遊びの輪に入れてくれた園児と、そのお母さんたちと別れて、わたしはその足で、子どもを乗せたママチャリで、近くにあったフォルクスワーゲンのお店へキキーッと乗りつけた。
店頭に貼ってあった緑色の2ドアPOLOのポスターを指差して、「これの4ドア赤をください」と叫ぶ自分。
睡眠時間をけずって、数年がかりでコツコツためた貯金を、この際、大放出するつもりになっていた。

対応してくれた女性は感じがよかった。
だが、新発売されるポロは、すでに予約の長いリストができていて、納車は来年になるという。だいぶ先になるが、入園式にはなんとか間に合いそうだったので、わたしは、ほっとした。

数日後、担当の女性から電話があって「いい知らせです!」という。
「ドイツから横浜に着く最初の船で運ばれている右ハンドルの赤いPOLOにキャンセルが出ました。速報のファックスが送られてきたので、すかさず手を上げました!早い者勝ちだったので、ムリかなと思ったんですが、送信が早かったみたいで、うちに回してもらえることになりました!」という。

1996年12月24日クリスマスイブ。粉雪が舞っていた。
わたしに、POLOがやって来た。

それから、23年、子どもの送迎ごとは、ぜんぶこのPOLOがしてくれた。
自宅は交通の便がよく、歩いても、駅から10分くらいなのに、わたしは駅前に駐車場を借り、仕事に行くときは必ずPOLOと一緒に家を出た。
エンジンを回さない日は、ほとんど一日もなかったと思う。

わたしは、何百本ものコピーをこのクルマの中で考えたし、東日本大震災の翌日には、映画館の鉄筋の駐車場の2階に置き去りにしたPOLOを陥没して水の吹き出す道路を歩いて迎えに行った。
がらんとした駐車場の中にポツンとたたずんでいる無事な後ろ姿が見えた時には、思わず涙がこぼれた。

そんなことをしている間に、POLOは20才を超えた。
人間でいうと100才超えである。(勝手に言ってます。)
新発売のクルマの例にもれず、初期トラブルがてんこ盛りで、走りながら火だるまになったり、前が見えなくなるほど煙を吹いたり、4気筒の内の2気筒がプスプスいって路上で停まったり。
数々のトラブルを乗り越えてきた屈強なフィジカルも、ここに来て、ガクッと老いがすすんでしまった。ボディの色が褪せたし、摩耗したプラスチックやゴムの部品を頻繁に取り替えなければならなくなり、部品が製造中止になっているために対処できないことも増えてきた。

一方で、ドイツ本社の排ガス不正事件が発覚。 信頼の失墜と売り上げの激減のあおりで、長年お世話になったフォルクスワーゲンのディーラーも店じまいすることになった。
それを潮に、わたしもPOLOを手放す決心をした。

ほんとは、せめてあと一度だけ、車検を通したかったな。
でも、バックミラー折れちゃったし、窓は閉まらないし、方向指示灯は取れそうだし、エアコンつけると灰色のスポンジの粉が舞うし、スピーカーのネットはパフパフしてるし、トラブルはぜんぶ、プラスチックとゴムの問題。
エンジンの調子は今までになくいいんだから、ほんとうに残念なんだけど。

この世に、一生乗りつづけられるクルマなんて、きっと、どこにもないのだろう。
今振り返っても感心するのは、フォルクスワーゲンの担当の方から、乗り替えをすすめられたことが23年の間、ただの一度もなかったこと。
それでいて、今日まで、誠実に丁寧に面倒をみてくれた。
こんなことになるのなら、次のクルマは、このお店で乗り替えておけばよかったと思うけど、なかなかね。
個人事業主には、どうしても「新しいクルマを買ってはいけない年」があるのです。
ひとまず、お店の終わりを、POLOの終わりの年に。

新しいクルマはまだ決めてない。
けれど、来年の春になったら、あの日と同じ希望を胸に、こんどは自分のために、一台のクルマを買いにいこう。
今までPOLOと一緒に通ってきた道と、これから新しく見つける道を、走ることをあきらめない。この先もっと、うれしいことを。

いままでありがとう。運転が苦手なわたしの、
23才の、赤いPOLO。
あなたはおいしいビールでした。

♯34 YURI wrote:2019/11/21


未練はない、ゴー!
♯7 wrote::2010/10/31

忘れんぼクイーン。
♯6 wrote::2010/10/24

ごめんくだシャイ。
♯5 wrote:2010/10/16

鰐とおばあちゃん。
♯4 wrote:2010/10/04