引退。

週末、娘が引退した。
テニスの地区大会。試合で負けた瞬間が、同時に部活からの引退になる。高校3年の春、サドンデス。
プレッシャーからか、大会が近づくにつれて、生来のおしゃべりさんの口数が少なくなった。
ある朝、いつもの時間に起こそうとベッドに行くと、もぬけのからである。
焦りなんかに駆られて、暗いうちからランニングに出かけたようだ。
夜中にむっくり起きだして、ものすごい勢いで腹筋を始めたこともある。
彼女は、ひたすら、引退の瞬間を先延ばしにしたいのだった。
娘がそんな状況だというのに、父親はマウンテンバイクの落車事故で肩鎖関節を脱臼。入院のうえ手術する日が迫っている。わたしはといえば、大震災に見舞われた故郷の様子が心配でインターネットやツイッターにへばりつき、情報収集に余念がない。
朝な夕なに大小の余震がつづくなか、娘は黙々と試合に向けて、気持ちを高めていたのだろう。
しかし、張り詰めた糸がプツンと切れたのか、大会の前夜、
「負けたらどうしよう。負けたらそこで青春が終わっちゃう……」といいながら、泣きべそをかいた。
「あのね。青春なんて、そんなに簡単には終わらないよ。受験勉強なんかで終わるわけない。終わらないと思う人には、30才になったって40才になったって、終わらない。ほんとよ、保障する!」
と、わたしはいった。

翌日、急に時間があいたので、娘には知らせずに、ダブルスの試合を見に行った。
大会会場は、初めて足を踏み入れる県立の女子高校。伝統校のようである。校庭を取り囲むようにして立ち並んだ桜の太さと本数が、歴史の長さを物語っている。
放射線の飛散量などなんのその。少女たちは、帽子もかぶらず、細い二の腕と太ももをむき出しにして、何面も並んだオールウェザーのコートを、ところ狭しと駆け回っている。
その試合、娘たちは、長年鍛えあげたペアだということがひと目で見て取れる密度の高い攻撃のすえに、勝ちをもぎ取った。
コートから出てきたふたりに駆け寄って声をかけると、揃ってギョッとした顔をした。次の瞬間、顔を見合わせて笑い始めた。わたしに見られているとは思ってもいなかったらしい。
ニコニコしながら「見届けてくれてありがとう」といってペコリとおじぎをすると、ふたりはクルリと背中を向け、満開の桜の木の下にシートを敷いてつくったチームの荷物置き場に向かって、跳ねるように遠ざかっていった。
ふたりの後ろ姿をずっと見ていた。これが、このペアが負けなかった、最後の試合。

娘の引退試合を見ないですんだのは、手術の付き添いの日とかちあってくれたから。ラッキーである。
メンバー全員の引退が決まってしまったあとで、咲きほこる桜の木の下に車座になって、ひとりひとり、簡単なスピーチをしたのだという。
「そんなにカンタンに青春なんて終わらないと、励ましてくれた年上の友達がいます。正直、いまはそうは思えないけど、いつか思える日がくるのかもしれません……」と、娘は話したのだそうだ。
いつのまにか、年上の友達にされてしまっていたが、そうそう悪い気もしない。

大会が終わった日、帰宅した娘は、5年間愛用したテニスバッグを玄関に放り出したまま、シャワーも浴びずにベッドに直行し、吸い込まれるように寝てしまった。仮にこれが青春の終わりだったとしても、深い沼の泥のような眠りの底では、感傷もへったくれもありはしないだろう。
夜のうちに、汗と砂ぼこりにまみれたウエアーの洗濯をしておいてあげようと、やさしい気持ちになって、テニスバッグをさかさまにすると、無数の桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちた。
いささかのしおれもなく、散ってなお、つややか。花もまた、春のさなかである。

♯18 YURI wrote:2011/04/19

逆向きのアンテナ。

いまとなっては嘘のような話だが、子供の頃、わが地方のテレビに映るのは、NHKの「9」と、NHK教育テレビの「2」、そして唯一の民報局である福島テレビの「11」の、3チャンネルだけだった。
家々の屋根のアンテナは、そろって北を向いていた。おそらく、郡山市か福島市かどちらかの方角。
地方都市の高い電波塔が受け取った東京からの電波を、さらに県内の町村の1本1本のアンテナがキャッチするという構図だったからである。
わたしの実家は福島県の南部にあり、高台に建っていた。屋根の上のアンテナは、なぜか南の方を向いて、お天気の日には東京キー局からの電波をきれいに受信した。(反対に、風の日は砂嵐であった。)
玄関のチャイムがピンポンと鳴るのでだれかしら?と母が出ると、心配した見知らぬ人が立っていて「あんたげ(あなたの家)のテレビのアンテナ、逆向いてねぇか?」といわれることがあったという。
おおむね、プロ野球好きだった父が、気のきいた冗談のつもりでアンテナの向きを反対にしたとかそういったことだっただろう。
だからわたしは『巨人の星』を本来の大塚グループのコマーシャルに挟まれたカタチで見たし、『アルプスの少女ハイジ』はカルピスのコマーシャルと抱き合わせで見た。わが母は、好きだったドラマの『日曜劇場』を東芝のコマーシャルとともに見た。これは、大都市圏に住んでいればあたりまえのことだろうが、当時の地方生活では、めずらしかった。テレビ番組は、その地方のコマーシャルとともに見る決まりだったからである。

広告の仕事についてから、各企業が自社のコマーシャルを、どの番組と抱き合わせで放映したらいいかを、非常に真剣に議論し検討していることを知った。番組とコマーシャルのあいだには、明らかに相性がある。TPOを選んで、より生きるコマーシャルというのも存在する。
だがこのところ、ビデオのリモコンにコマーシャルのスキップボタンがついて、わたしたちは、録画した番組の本体だけをハダカで見られるようになった。コマーシャルを抱き合わせたカタチで見ることが少なくなり、反対に、番組と相性抜群なコマーシャルであっても、見損なうことが増えた。
そんな過渡期が来ている折も折、今回の震災で、ヘビーでリアルなニュースの合間にAC(公共広告機構)のコマーシャルがあまりにしつこく何度も流れる状態に、わたしたちは否応なくテレビコマーシャルのTPOについて、物思わされてしまった。
いままで興味のなかった人までが、このタイミングで流れるこのコマーシャルには励まされるとか、このコマーシャルには癒されるとかの判断をして、そしていま「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」をタレントが心をこめて歌うだけのコマーシャルを、すごくいい!!と感じている。
たしかに2曲とも、歌詞もメロディーも心にしみる。立ち直りへのオーラがある。でもあえていえば、あれはスピードを最優先してつくった単純なコマーシャルである。いつまでもACのコマーシャルばかりを流していてはいけないという義憤にかられて(おそらく)、短期間に、たくさんのタレントに交渉し、スタジオにご足労願って、それぞれのキャラクターが醸し出す歌声を非常に上手に収録し、広告のかたちに仕上げた。たいへんな手腕だと思う。緊急時の拙速は、なによりも重要。これは、政治的決断にもいえることだが、単純な枠組みだからこそ、実現することができたといえるだろう。

でもこれは、日本中がACのコマーシャルに食傷したあとのリハビリの時期だから、よく見えるのだと思う。全国民がちょっぴり泣きそうな、いまの時代の空気との抱き合わせ感がいい。けれど…。
ACによる連続攻撃のおかげで、全国民がこんなにもコマーシャルについて一家言を持ったいまは、広告に携わる人間にとっても、正念場である。
わたしもわたしの持ち場で、単純なだけではなく、この時代ならではの、元気が出たり、新しかったりするコマーシャルをつくっていけたらいいな、つくりたいなと思う。
できるかどうかは、わからないけど。

♯17 YURI wrote:2011/04/17

2011年、夏。奇跡の夜型都市、東京。

わたしは典型的な夜型人間である。
娘がテニスの朝練に行くから5時だったり、お弁当作りがあるから6時だったり、毎朝、死に物狂いの「携帯アラーム・5連発・スヌーズつき」でベッドから引き剥がされてはいるが、正直、午前中はどうにも気合いが入らない。傍からはそうは見えないだろうが、本人の体感としては、愛飲するリポビタンDのカフェインに頼って、なんとか頭と体を動かしている感じ。
調子が出てくるのは、午後になってから。「あぁ、目がパッチリ開いた!」と自覚するのは夕御飯を食べた頃。「おぉ!集中していいアイデアがひらめき始めましたよ」なんて、内なるアドレナリンの分泌を実感するのは、毎夜午前0時を回って、家族が寝静まってからのこと、超スロースターターなのだ。
翌朝のことを考え、おそくても午前3時にはベッドに入るようにしているが、ただ寝起きが特別困難なだけで、ほんとうはもっと起きていられる自信がある。

内心、夜型人間でよかったと思っている。
夜型でなければ、子育てと仕事のピークがバッチリ重なった毎日を乗り切ることはできなかった。朝早い子供の時間に伴走して朝型の生活をしながら、夜遅い広告業界向けの夜型の生活も同時にフル稼働させることができたのは、根性でもなんでもなくて、単に体質のおかげだっただろう。

さて、この夏は懸案の電力危機を乗り越えなければならない。
需給調整契約企業への東電と国の対応が、問題の鍵を握っていることは明らかだが、わたしたちにとっても、一世一代の節電に励む夏になる。時はいま!なのである。
もし、最近よく耳にする、50Hzにこだわらずに、中部地方や西日本の60Hzの電気を、変電所を通さずに直接送電線で運んできて、そのまま首都圏の一部で使おうじゃないか、というアイデアが実現できれば、ほんとうにいいと思う。
聞くところによると、このアイデアを阻む障害になっているのは、東電のプライドだけらしい。いわば、縄張り争いである。この期に及んで、そんなことどうでもいいじゃないか。

さて、わたしたちにできる節電を考える時、かつてのオイルショックとは問題の意味が違うということを、共通認識として持っていたい。
あのときは、エネルギーそのものが足りなかった。長い目で見れば、それはそれで大切だが、いまの緊急事態とは、問題の種類がちがう。
この夏の問題は「東京電力管内のピーク時の電力需要をいかにして下げるか」ということである。
したがって、ほかの電力会社管内の方が節電をしてくださったとしても、残念ながら、あまり意味がない。
と同時に、十分に足りている深夜電力を節約したとしても、いまの問題を解決することはできない。
だから、コンビニの営業時間の短縮では、こと、この問題に貢献することはできない。
ただ暗いだけの東京の夜には、なんの意味もない。
大切なのは、首都圏の人間が、夜できることを昼間しないこと。
午後の電力を使わないようにして、夜中に使うことなのである。

そこで、夜型人間の出番である。
いままでだって、ジムも、病院も、市役所も、クルマのディーラーも、美容院も、夜開いていたら、夜行きたかった。開いていなかったから、行けなかったのだ。昼間休んで、夜開けてほしい。7月と8月の2ヵ月だけでいいから。
もちろん、東京メトロと都営バス、JRと私鉄各社の協力は必須である。昼間の本数を減らして、そのかわり夜の交通網を終日営業にしてほしい。2ヵ月だけでいいのだから。
7月と8月の2ヵ月間、首都圏は、かつてない夜型都市になる。犯罪が起きないように、街灯と信号は昼間のように十分明るく照らす。道路はさだめし、F1唯一のナイトレースであるシンガポールGPの趣を示すだろう。わたしたちの源、アジアのパワーは夜の混とんから生まれ出るのだ。
パチンコ屋の営業時間は、午後6時から午前6時までに変更。漆黒の闇の中に煌々と浮かぶパチンコ屋のネオンは、ギャンブルの持つ奥深い遮光性をあおってアジアンパワーのカオスを再び演出する舞台装置になるだろう。当然、自動販売機の通電時間も、午後6時から午前6時まで。それ以外の時間帯の電源は完全OFFにする。これで誰も文句は言わないだろう。
このような方策で、ジリジリと太陽に焼かれ燻される時間帯にエアコンのスイッチを切って、老人や乳児や病人を死に至らしめる心配を遠ざけ、東京全体のブレーカーがバチン!!と不気味な音を立てて落ちる危険を回避するのである。

花火大会と大晦日と夏祭りと万博とオリンピックが、いっぺんに来たような夜型都市、東京。
その結果、電力の需要曲線は24時間を通して平らな横一線を描き、やがて秋風が吹くころ、わたしたちは、重大な危機を無事に乗り越えたことに気づくだろう。
そして、アジアが持つカオスのパワーに活気づいた夜型人間の存在を、嬉しく、愛しく、抱きしめるのだ。

♯16 YURI wrote:2011/04/10

故郷の町、電波時計の怪。

この週末、ようやく故郷の町に帰ってくることができた。
実家の被害は、2週間の断水を別にすれば、庭の石灯籠の倒壊と、収納庫から転落した十数個の花瓶が割れたことのみ。さいわいこの町では、非常に軽傷の部類であった。
通りは、屋根にブルーシートのかかった家や、崩れ落ちた塀や生垣のオンパレード。まだ通行止めになったままの道路も多い。
なかでも、「蔵」の被害が目につく。
町の大通りに面して威風堂々と建っていた製麺屋の大きな蔵も、母の友人が住居にしていた見世蔵も、父の生家である農家の土蔵も、しっくいの壁がダイナミックに崩落して、土や十字に組まれた木の柱がむき出しになり、修復作業はかなりの困難をともないそうだ。
日本家屋は、まして壁の厚い蔵は、地震に強いはずではなかったのか。
農村では、JAから種まきは「待ち!」という指令が出たが、すでに種を水に浸してしまった農家は、どうしたものかと頭を悩ませているとのことであった。
鍬の入らない固い田んぼの土が、どっちつかずの面持ちで春を待っている。

だが、わたしが出会った人の多くが「津波にあった方の苦労を思えば、このくらい…」という。
「放射線がどうこうというのが気になって、瓦礫の片づけや、屋根の修理に身が入らない。地震だけで済んでいればまだしも…」という声も、幾度となく聞いた。
とはいえ、この町には希望がある。町があるからだ。

一昨年サハラ砂漠の横断に挑戦した冒険野郎の大学生が、避難所になっている町の体育館で救援物資の仕分け作業を手伝っている。
知人の甥は、赴任先のメキシコで見たニュースの惨状にあわてふためいて帰国。崩れた屋根瓦の片付けを丸一日で済ませて、メキシコにトンボ帰りしたという。
わが母は「家から出ちゃダメ!」というわたしの電話での指示を「ハイハイ」と受け流しながら、地震で転んで腰を骨折した幼なじみや、水ばかりでなく公的介護サービスまでが止まってしまった老齢の知人に、手づくりのお弁当を届けていたようである。

この母から、地震以後、壁掛け時計の様子がおかしいと、聞いていた。
「地震のあと、時計の針が、猫に追われてるネズミみたいに、猛スピードでグルグル、グルグル回転するの。目を丸くして見ていると、突然元に戻って、涼しい顔して、ふつうにチクタク時を刻み始めるの。不思議でしょ?そんなことが、日に何度もあるの」
昨日、とうとう、わたしも摩訶不思議なその瞬間に遭遇した。
たしかに、ぐるんぐるんと回転する針の猛ダッシュぶりは、尋常ではない。突然、平静を取り戻す感じも、いまが非常事態であることを、民衆に知らしめようとしている王家のごとき高潔さである。
そのとき、たしか日本標準時の電波の送信局が県内にあったのではないかしら?と思いあたった。
調べてみると、田村市と双葉郡の境にある「おおたかどや山」の頂にある送信局がそれであったが、福島第一原発の事故による半径20km以内の避難指示のために、ただいま停波状態に陥っているとのことであった。おそらく、無人状態になって、電波送信の機能を失っているのだろう。
この、いわばミラクルな時計の針の運動は、地震や津波の爪痕ではなく、現在進行形の原発クライシスの余波なのであった。
正確さをモットーにする、電波時計の、われを忘れた狂態は、原子力という人知を超えた力を、謙虚に、用意周到に扱おうとしなかった愚かな人間を、あざ笑っているかのようである。

♯15 YURI wrote:2011/04/04


未練はない、ゴー!
♯7 wrote::2010/10/31

忘れんぼクイーン。
♯6 wrote::2010/10/24

ごめんくだシャイ。
♯5 wrote:2010/10/16

鰐とおばあちゃん。
♯4 wrote:2010/10/04