プロボノ、ボンベ。

先週のある夜、出張から帰宅したら、思いのほか疲れていた。
オーバーワークだったせいか、少し凹んでもいて、だらっ~と寝ころんでザッピングしていると、指がふと止まる番組がある。
テーマは「その人本来の職能を活かして、他人の役に立つ」という、新しいボランティアのカタチ。
「プロボノ」というらしい。
震災以来、アンテナを立てていたつもりだが「プロボノ」という言葉は、引っかかっていなかった。

美容師さんだったら、髪をカットしにいけるし、マッサージの資格があれば、お年寄りの肩や腰を、揉みにいける。でも、広告屋さんが「コマーシャルのキャッチフレーズがつくれます! 」といくらいっても、こんな非常時には、な~んの役にも立たないのよね、などと、ボヤいてばかりいるわたしを見ていて、業を煮やしたムスメは、こういった。
「あのね。ママは絵本を読むのが上手なんだから、絵本をリュックに詰めて被災地にいって、子どもたちに朗読したら?」
あぁ、朗読? なるほど、読み聞かせ?
それはいい考え。さすがわがムスメ! と、膝を叩きそうになったが、どちらにしても、付け焼刃ではないか? 被災地の方のお荷物にならないとも限らない。

義援金以外になにかできること、ないのかしら……。中途半端にハンド・マッサージの講習会をのぞいたり、地元福島でボランティア活動をしている友人から依頼のあった物を細々と宅配便で送ったりしながら、気はそぞろながら、実情はただ日常に追われるだけの傍観者……。
それがわたしの、この3ヵ月間の姿であった。

そんな時だ。だら~っとテレビを見ていたその夜のわたしは、これだ! と叫んで跳ね起きた。
これなら、コピーライターという、培ってきた職能を活かしながら誰かの役に立てるかもしれない。被災地で、ウェブサイトやポスターをつくりたいとか、キーワードやネーミングがほしいという人と巡りあえれば、きっと何かの手助けができるにちがいない。
調べてみると、「プロボノ」という言葉は、ラテン語で「公共善のために」を意味するpro bono pubicoが語源だという。
さらに、サイトをたどっていくと、精力的に「プロボノ」活動をしているNPOの、クリエィティブ職限定の説明会が、渋谷で、今週の土曜日にあるというではないか。
まさに、渡りに舟! 役立たずなオンナに「プロボノ」!
という流れで、週末の「プロボノ」の説明会にさっそく申し込む。

当日の朝10時半、渋谷の町は、まだ人通りも少なく、マンションの一室で開かれた説明会に集まったのは、15人ほどであった。
クリエーターとひとくくりにしても、職種や、ふだんの仕事の内容は、かなり違う。
しかし、ひとりひとりが、自分の職能で誰かの役に立てないかと考えて、休日の朝の電車に乗って、ここに来た。
そんなシンパシーからか、会の雰囲気は、終始なごやかである。

まず簡単な自己紹介から始めましょう、という式次第で、3人目にわたしが立ち上がったとき、部屋のむこうから、こちらの額のまん中あたりを指さして、興奮して話しかけてくる人がいる。
不思議に思いながら「知り合い?」と聞いた。騒いでいたのは、20数年前、最初に就職した会社で同僚だったM氏だった。

昔、おなじようなことがあった。
中学2年の4月、父の転勤で、田舎の町から、県庁所在地の街に転校した日のこと。
お決まりの、黒板に名前を書かれ、教壇の上から挨拶をするという儀式にのぞむ直前のわたしを指さして、勢いよく立ち上がった女子がいた。偶然にも、前の中学でクラスメートだったT子だった。
「ゆりだぁ!」と、明るい声。
「わー、ボンベ!!」と、はしゃいで応えるわたし。
そのとき、クラスは一瞬しーんと静まりかえり、次の瞬間、大笑いする声が教室いっぱいに爆発した。
思いきりほっぺたを膨らませて横を向く、健康的なT子の顔…。
この学校でT子は、むかしのあだ名を無きものにし封印することに成功していて、みんなから「べっち」と呼ばれて、クラスの人気者になっていたのだった。
わたしが出現するその瞬間までは……。

休み時間、女子トイレに呼びだされて「昔のあだ名であたしを呼んだら、ゆりを、この中学にいられなくするよ」と、T子に釘をさされた。
うん、わかった、と答えながら、一瞬のひと言が、彼女の中学生活を、いや大げさにいえば、この先の人生を、灰色に染めかねない緊張感で、トイレの床に敷かれたすのこを踏みしめる両足が、ぶるぶる震えた。
じぶんが危機に陥れた彼女の運命を守るために、全力をつくそうと、中学生のわたしは心に誓った。
T子とは、中学の必修クラブがおなじで、進学した高校もおなじだったが、さいわい、あだ名はずっと「べっち」のままだった。

さまざまな職能を持った人がチームでとりくんだ「プロボノ」の具体例や、期間、実働時間などの説明があって、なごやかな雰囲気のまま、会は終わった。
この3ヵ月、被災地から心が離れない。しかし、あの頃の青臭い中学生にはもう戻れない。
すべてをかけて、他人のために尽くすことはできないが、できる範囲で誰かの何かの役に立てるかもしれない。
「プロボノ」が心のなかで、ほのぼのと息づき始めた。

帰り道、こどもの城の前を通ると、屋台がたくさん並んでいる。
「ふくしまの新鮮な野菜をどうぞ~!!」という声が、ひときわ高く青山通りまで伸びてくる。山盛りトマトが200円。梅雨の晴れ間の陽射しを浴びて、ピカピカ光っている。つぶれないように気を使ってカバンにしまう。

わたしはまだ、巡りあっていないのだ。動きだしてさえいないのだから、そんなのあたりまえじゃないか。
あの日以降、心はつねに被災地にある。なのに地に足がつかない理由が、屋台に並んだ色とりどりの野菜を見ながら、わかったような気がした。

♯22 YURI wrote:2011/06/26

何みりしーべると?のハンゲ(半夏生)。

昨年十一月に亡くなった父の、お墓づくりがのびのびになっている。
福島県の中通り地方にある故郷の町では、あの地震で町じゅうの墓地の墓石が引っくりかえってしまったからである。
「石屋さんは大忙し。注文は作業が落ち着いてからにしましょう」と、地震の直後に母がいった。
だが、その母が先日電話で「さすがにそろそろ頼まないと、新盆に間に合わないかも」という。
日曜日、故郷に帰って一緒に墓石の注文をすることにした。

駅まで迎えにきてくれた母のクルマで、町の石材店まで行くと、店舗の前に陳列されている墓石が、のきなみ倒れたままである。
店番をしていた石屋のおばちゃんが、ガラスの扉をひょいと開けて
「わがいの店先、ひどいでしょう?奥さんもお嬢さんも、気をつけなんしょ。地震が来てからずっと毎日休みなしで、社長ら総出でお墓に重機を入れて持ち上げてるんだけっど、お客さんの分をひとつでも早く直したいって、わがいは後回しなのぅ」という。
「いま、社長を呼びますから、まあまあ、ちょっとあがって」と手招きをする。
初対面のおばちゃんにうながされて事務所にあがり、ソファに腰を掛けると、電話を終えたおばちゃんがいそいそと“自家製なすの濃い口醤油の古漬け”、“きゅうりと白菜を、塩漬けした紫蘇の実で揉みこんだ一夜漬け”、“ゴロゴロした大きな梅のジャム”などを、テーブルの上に並べ始めた。一皿一皿、ていねいな作り方の解説つきで。

「まあまあ、つまんないものだけっど、召しあがってくんなんしょ。わたし80才には見えないばい?いつもなんかかんかつくって、忙しくしてるからかねぇ?」
どの皿も、色どりがよく、みずみずしい。ふくしまの森や畑がそのままテーブルに乗っているみたい。
「このお漬物は、塩で揉んだんじゃないよぅ。塩漬けにした紫蘇の実で揉みこんでいるから、ほら、紫蘇の香りがいいでしょ?」
なるほど、箸でつまんだ瞬間に、爽やかな夏の匂いを振りまく、元気のいい漬け物である。
「ほらほら、梅のジャムも、遠慮しないで食べな食べな。焼酎の味が飛んでないのが、玉にきず(笑)。ほんとはもうちっと煮詰めたかったんだけど、地震のあとガスがとまって、思うように煮込めなかったのよぅ」という。
そのジャムをおばちゃんが出してくれたパンに乗せて食べると、焼酎の香りが口の中全体に広がり、ぽわんと鼻に抜けて、ちょっとふらふらしてしまう。
たしかに、もうちょっと煮詰めた方がジャムらしくなりそうだが、そのゴロゴロした梅のジャムの味は野趣豊かで、思わず何度もおかわりをする。
わたしの食べっぷりに気をよくしたおばちゃんは、食器棚の扉をあけて、どんどん新しい食べ物のお皿を並べる。まるで魔法のようである。棚の下の段には、密封瓶に詰まった梅酒や、野菜のピクルスが整然と並んでいるのが見える。
しまいに「帰りの運転はどっちだい?はい、運転しないひとは?お嬢さんかい?じゃあ飲みなぁ」と、梅酒のロックをすすめられる。
母もニコニコしてこちらを見るので、まだ昼前だというのに、ぐいっと一気に飲みほしてしまう。と、からだのなかがカアッと熱くなる。まぜもののない、まさに梅そのものの風味の立ちのぼる梅酒。とても濃くて力強い。
「わぁ、おいしい。すごい。効く!」
「でしょでしょう?これはぜんぶ、去年の手づくり。貴重品だと思って、おいしがって食べてねぇ」
そのあと、ふと真顔になって、
「あたしの梅酒はもう、最後かもしんねぇ。毎日テレビで、今日は何みりしーべると、今日は何みりしーべるとっといってるの聞いてたら、今年はもう、つくれねぇでしょう?」と、おばちゃんはいう。
もうすぐ、梅やシソの実をもぐのに最適とされる、七月上旬のハンゲ(半夏生)の日(夏至から数えて十一日めにあたる)が来るけれど、今年は梅も紫蘇の実も、多分、もがないし、摘まないだろう、というのである。

「ゴシゴシ洗えば大丈夫かもしんねぇけど、放射能入りの梅酒を飲みたいという奇特なひとは、よもやいないばい?」といって笑い、フッと薄いためいきをついた。

とそこに、墓地の作業場から社長(おばちゃんの息子)が戻ってくる。人のよさそうな笑顔で、額の汗をぬぐっている。
母とわたしは、社長おすすめの石を「はいはい」と頼み、「うんうん。それで」と詳細を決め、「〇〇のばあちゃんにめんじて」と母の実家の屋号を出して、ちょっぴりサービスしてもらう。
「おいしかったぁ、ごちそうさまでしたぁ」と、機嫌よく石屋をあとにするとき、なぜかわたしの手にはおばちゃんに「あんたは食べっぷりがいいから」と持たされた“自家製なすの濃い口醤油の古漬け”が入ったプラスチックパックが乗せられている。
「いい石頼めて、よかったぁ!!」と、おばちゃんのおいしい味に餌づけされたふたりは、ちょっぴりはしゃいで、家に帰る。

帰宅してしばらくすると、母が「おなかはすいてないけど、さあ、お昼お昼!」と、揚げ物を始めた。のぞくとタラの芽の天ぷらである。
「あ!Tさん今年も、山菜採りに行ってきたんだ!」とわたしがいうと、母は困ったような顔をして、あいまいに首を振る。
「Tさん、今年は行かなかったの。せっかく採ってきても、天日にさらされた山菜では放射能が心配だ、って。それで、山形産のタラの芽を八百屋で買って届けてくれたの」という。
そうだったのか……。と、口の中のタラの芽をかみしめて、思わず絶句するわたし。
Tさんは、だれも知らないヒミツの場所を県内のあちこちの山に隠し持っている山菜採りの名人なのである。もうずっと何年も前から、この季節になると、タラの芽、ふきのとう、コゴミなどの戦利品を友人におすそわけしてくれる人気者であった。亡くなった父も、春先になるとTさんの訪問を心待ちにしていたのだった。
この味を楽しみにしてくれている人のために…と、八百屋の店先にしゃがみこんで他県の山菜を、友人の数だけ買いこんでいる、律義なTさんの姿が目に浮かぶ。

ささやかな悲しみにはちがいない。
しかし、この町のそこかしこに、ニュースでは報道されない悲しみが、たしかに存在している。
石屋のおばちゃんが煮るゴロゴロ梅の入ったジャム、Tさんが分け入り摘みあげる早春の山の幸……。
ふくしまのおばちゃんが失いかけている幸せを、だれにも補償することはできない。
おいしいおすそわけには、値段がつかないのだ。
お金であがなえない失われゆくものを、わたしたちは、どうあがなえばいいのだろう。

♯21 YURI wrote:2011/05/29

愛さずにはいられない。

初恋の人は大場政夫である。
……と、ちょっぴり恥ずかしい書き出し。
玄関に届いたスポーツ新聞の一面に載っていた、白いスーツ姿の美青年。
おどっていた大きな見出しは、「大場、死す!!」
「このきれいなひと、だぁれ?」といいながら新聞を手渡すと、父は困ったような顔をした。
日本が生んだ世界チャンピオン。愛車のシボレー・コルベットのハンドルを首都高で切り損ねて、即死。
23歳。色の白い端正な顔立ち。小学生だったわたしは、たった1枚の写真で、1ラウンドKО負け。
涙を浮かべながら、記事をむさぼるように読んだ。
これが、いちばん遠くにかすんで見える、スポーツ新聞の思い出である。

父がジャイアンツの熱烈なファンだった。勝ち試合を、文字で追体験して楽しみたいタイプで、もの心ついたときから、宅配の「報知新聞」をとっていた。母はスポーツにはまったく興味がなかったので、大場ショック以降、父が読んだスポーツ新聞のお下がりは、そっくりわたしのものになった。

スポーツは、からだで覚えるとよくいうが、わたしはスポーツ観戦の醍醐味を、スポーツ新聞で覚えたのかもしれない。
野球のスコアブックのつけ方、勝率や防御率の計算方法、陸上の十種競技の採点方法、「ハットトリック」「キスアンドクライ」「アルバトロス」などのスポーツ用語の意味、「ギンガー宙返り」と「デルチェフ宙返り」の違いなど、われながらスポーツ用語の足腰がしっかりできているのは、幼いころから報知新聞で反復練習を繰り返してきた成果かもしれない。

やがて、大人になって、ほんとうのスポーツを、生で観戦するチャンスが次々に訪れた。
キリンカップがブレーメンの奥寺選手の引退試合になるというのを「報知新聞」に教えられ、カズが一員だったパラメイラスと戦うのを、友だちを誘って国立競技場に見に行ったときも、翌朝のスポーツ新聞を手に、おもいきり余韻にひたった。
アイルトン・セナが鈴鹿で初めてのチャンピオンシップを獲るのを予選から3日間かけて見守ったときにも、帰宅してから、「トーチュウ」の記事を、まさにボロボロになるまで読み返しながら、思いを重ねたものである。
東京の世界陸上は全日程、大阪の世界陸上は週末の日程を、見とどけた。もちろん、片手に「スポニチ」を握りしめながら……。
スポーツ新聞のないスポーツ観戦は、ごはんのない、おかずだけの食事のようなものだろう。
夏と冬のオリンピック、世界陸上、世界2輪、体操やフィギアスケートの世界選手権……。たくさんの試合を生で見た。かならず、スポーツ新聞の予習、復習つきで。

しかし、そんなわたしに3年前、大きな転機が訪れた。
上京後しばらくは実家とおなじ「報知新聞」を、F1や世界2輪にかぶれてからは「東京中日スポーツ(トーチュウ)」を、遅出の日の買いそびれをおそれて、とりつづけてきたのだったが、早刷り情報の古さに業を煮やし、ついに宅配をやめて電子版に切り替えたのである。
プラウザを起動したときの個人的デフォルト設定は、モータースポーツに特化した会員専用サイト「トーチュウ・F1エクスプレス」だ。だからパソコンを開くたびに、スポーツ新聞が立ちあがる。
しかしなぜか、以前ほど熟読したい気にならないのである。そういえば、電子版にしてからは、読みながらポロポロ泣いたことがない。
なんとな~く「なるほど、なるほど~」と、眺めている。
これが、紙とウェブのちがいなのか、それともわたしになにかしら心境の変化があったのか、じぶんではよくわからない。
とはいえ、出張で飛行機や新幹線に乗る朝は「今日は紙のスポーツ新聞を買うぞぉ!」と思ってウキウキしているのだから、不思議なものである。まあ、そんなこんなで結局いまでも週に2~3回は、キオスクで紙のスポーツ新聞を買ってしまう。

平成生まれのわがムスメには「ママが飛行機の中でスポーツ新聞を読んでるって、悲しい。昭和のオヤジみたい…」といわれてしまう。でも、きっと彼女には、「低俗」と「低俗そう」の違いがまだ、わからないのだ。
「あら、ヘミングウェイだって、ガゼッタ・デロ・スポルトの大ファンだったのよ。スポーツ新聞は、かっこいいのよ」と言い返してみても「ガゼ…?デロ…?」と、目を白黒させているばかり……。
わたしが、スポーツ新聞のいちばん好きなところはどこか。それは、だれかが記録をつくったときは「世界歴代10傑」の一覧表を、なにか事件が起きたときには「最近起こった同様の事件」の年表を、パッとつくって、記事の横にそっとさりげなく置いてくれるところ。その機転、そのノリ、その気づかい……。
「わぁ!これ、これ、これが知りたかった」と、読み読み、しょっちゅう膝をうつ。
気の合うよろこび、とでもいうのだろうか、ひとりで読んでいるのにひとりではない。人馬一体。理想の距離感。だからわたしはスポーツ新聞を、愛さずにはいられない。

♯20 YURI wrote:2011/05/25

ソーシャル・ネットワーク、まだなにも知らなかった。

わたしがフェイスブックを始めたのは、昨年の12月。
以来、新しく手に入れたおもちゃみたいに、楽しんできた。
創設者のマーク・ザッカーバーグをモデルにした映画「ソーシャル・ネットワーク」の公開日前夜、東京カルチャーカルチャーで催された『全日本facebookサミット第0回@東京映画前夜祭!』にも、当然出席するつもりだった。主催者側に友人のОさんやAさんがいたし、Ustreamで日本各地のスポットやオーストラリアをライブで繋ぐという趣向にはワクワクしていた。
しかし、出張のためイベントは欠席せざるをえず、その後、仕事が立てこんで、いつのまにか映画そのもののロードショーも終わってしまい、出遅れた感ありありのなか、わたしの「ソーシャル・ネットワーク」消化不良感は、くすぶりつづけていた。

だから、その日の朝、予定の打ち合わせが中止という電話があった時は、すでに目的地に向かっていたにもかかわらず、愛車のステアリングを大きく切り返すことに、なんのためらいもなかった。
正反対の方角にある海浜幕張の「マイカルシネマ」がその日、行ける範囲で「ソーシャルネットワーク」を上映している唯一の映画館だったし、なにしろ、天気がよかったのだ。
湾岸道路を飛ばして幕張メッセの横を通って海浜幕張に向かうのは、さぞかし気持ちがいいだろう。打ち合わせの中止もなんのその、あっというまに、気分は高揚していた。

劇場はすいていたので、中央のなかほどの席を選んだ。
予告編が始まってから、2こ置いて隣りの席に男の人が座った。手にキャラメルポップコーンのBIGサイズを持っている。
もっと空いてる席はあるのに、どうして、そこよ。靴脱げないじゃない、などと思う。
その人は、ポップコーンを猛烈な勢いで口に押し込みながら、わたしの訝しげな視線に気づいたのかこっちをチラッと見た。
老けてもいず、若くもない。40前後の年格好。白い帽子をかぶった、見慣れた雰囲気。
見逃した「ソーシャル・ネットワーク」を追いかけて、この晴れた昼日中、遠くから海浜幕張までやって来た、似たような人種なのかもしれなかった。
あきれるくらいの早口で映画は進行し、主人公が、西海岸に引っ越して、音楽をガンガンかけて、ホームパーティみたいなことになって、プールに飛び込んだりして、しっちゃかめっちゃかになったあたりで、劇場がグラグラ揺れ始めた。
え、このボディソニックすご~い!途中からいきなり本気出してきて、すごすぎ!
これがわたしの偽らざる感想。さすがに、ボディソニックにしたところで、いくらなんでも長すぎでしょう、やりすぎでしょう、と思い始めたわたしの肘を、2こ置いて隣りの席の男の人の指がトントンと突いた。
「ひょっとしたら、地震じゃないですか」
そういわれてようやく気づいたわたし。「あ、地震ですね」
「大きいですよね?」
「ええ、そうですね。わりと…大きいなんでもんじゃぁぁぁ・・・・ないですぅぅぅ!!!」
と、叫んだ瞬間、頭上の小さな豆球ライトのいくつかが割れて、白い破片がパラパラと降ってきた。
そこからは早い。劇場中の人が、出口に向かう。さいわい、中の人数が少ないので、パニックになることはなかった。

通路に出ると、出口に向かう人の数がどっと増えて満員状態。天井からバラバラと降ってくる破片も一回り大きくなる。
劇場の入り口上部に貼りついているはずの数字のボードがまっしぐらに落下し、天井に貼りついていた板が何枚かスーッスーッと、舞い落ちた。
「ニュージーランドでは倒壊しましたよね」2こ置いて隣りの席だった人が、すぐ横を走りながらいった。
そのとき、わたしは、ニュージーで子どもを亡くした母親はいまこの瞬間、どんなにこわいだろう。こわがりながらも、どんなにわが子のことを思ってどんなに辛いだろうと、そんなことを考えていた。
このビルも、きっと倒壊するのに違いない。こんなにグワングワンとよじれて揺れるビルを見たことはない。ついに来ちゃった。その日が来ちゃった……。
劇場のホールまでたどり着くと、たくさんの人たちが、出口のドアを必死で押さえている劇場のおねえさんに 「出た方がいいの。出ない方がいいの。どっちなの?」と詰め寄っている。
「倒壊の危険がありますから、出られた方がいいです」と冷静に応える劇場のおねえさん。
その横をすりぬけて、開いたドアから一目散に屋外に飛び出し、外階段を駆け下りて、大きく横揺れしている地面にたどりつく。
たどりついた、と思った瞬間、2個置いて隣りの席だった人がわたしのかばんをかかえて、すぐ横に立っていることに気がつく。なぜかわたしが手にしているのはノートパソコンの入った手提げ袋とコートだけである。
「あ、すみません」と、あわててかばんをひったくるように受け取りながら、ていねいにお礼をいった。
「じゃあ」と歩き始めてから、突然振り返って「お元気で!」と、2個置いて隣りの席だった人が大声でいった。

海浜幕張の駅前広場が、あっというまに地表から噴き出す水で、海みたいになってしまう。もう、ロータリー広場の反対側に渡ることはムリ。
「火は出てないかぁ?出てないならよ~し」と、消防団らしき法被をを着た大男が野太い声で、駅の階段の上から叫んでいる。
その後、駅前の広場は人でぎっちり埋まった。ドスンと2度ほど余震が来て、キーという動物みたいな悲鳴があがる。まわりの男の人たちが口々に「直下型だ!」「東京全滅だ!」と呟いている。
家族はどこにいるだろう、と考える。友人は無事だろうか、と思う。映画館のパーキングにクルマを取りにいかなければならない、と気がつく。その前に、娘の学校まで歩いて行ってみよう、と決意する。

震源地を知ったのは、しばらくたってからのこと。
電話もメールもなにひとつ通じなかったのに、携帯のezwebからサクサクとつながったフェイスブックのニュースフィードに「震源地は宮城県沖」という文字が見えたのだ。
余震が収まりかけるのを待って、隣りにいた女子高生に「少し落ち着いたらあわてて家に帰ろうとしないで、学校に戻った方がいいわよ」と声をかける。線路沿いに都心に向かおうと思うけど、京葉線と、総武線、どちら沿いに歩いたらいいでしょう、と尋ねてきた若い女性には「京葉線は橋があるから、総武線の方がいい」と答える。

マンホールから噴き出す水で、めくりあげたジーンズの膝までビショビショに濡らしながら、陥没と隆起のすき間をぬって、信号を見きわめながら、停車した大型トラックの間をすり抜け、ぬかるんだ歩道橋の下を渡り、14号線(千葉街道)の方角に向かって歩きだしたとき、ところで、「ソーシャル・ネットワーク」のつづきはどうなるんだ?という思いが一瞬、頭をかすめた。

あれから映画館へは行っていない。
3月11日、浅い春の日。なにが起きたのか、わたしはまだ、なにひとつ知らなかった。

♯19 YURI wrote:2011/05/08


未練はない、ゴー!
♯7 wrote::2010/10/31

忘れんぼクイーン。
♯6 wrote::2010/10/24

ごめんくだシャイ。
♯5 wrote:2010/10/16

鰐とおばあちゃん。
♯4 wrote:2010/10/04