「昨日あんまり寝てないんだ。なんなら、一睡もしてない」と、仕事仲間のMちゃんが言った。
なんなら? ん? と、耳をそばだてるわたし。
このような「なんなら」の使い方、最近よく聞くけど、なじめないのよねぇ~と思ったからである。
おそらく、「ヘタすると」とか「もうちょっと言うと」とかの意味で使っているのだろうけど、わたしのオツムは違和感でいっぱい。気になって話に集中できない。
そもそも「なんなら」は昔からある言葉である。
昔ながらのオーソドックスな使い方はというと……。
「急な雨だね。ビニール傘を貸すよ。なんなら、返さなくてもいいよ」
こんな感じ。なじみのあるこの使い方の「なんなら」には思いやりが隠されている。「返すのが面倒なら」と相手を思いやる。つまり、愛なのだ。
だが、最近の使い方はかなり違う。
例えば、先日、友人からSNSに届いたメッセージにも、新しい使い方の「なんなら」があった。
「小学一年生の授業はゆっくり進む。なんなら、外に春の草花を探しに行く時間さえある」
……こんな感じである。
言うまでもないことだが、言葉は時代を映す鏡だと思う。コロコロ自在に変化する。だから、できるだけ拒絶したくない。受け入れたい。だが正直、新しい用法にはなかなか慣れない。なじめない……。
てなことばかり言っていても仕方がないので、思い切って、わたしも新しい使い方にトライ。
「今回のコラムは手間取った。なんなら、完成するまでに3日もかかった」
たぶんこれでOKだと思う。でも、ちょっと自信なし!
=2022年6月24日掲載=