先々週土曜の午前中、仕事先の名古屋でポカ〜ンと半日、時間が空いた。これが京都なら小躍りしたところだろうが、名古屋は特に行きたい場所もない。そこで、映画でも見ようかと思い立った。
検索すると、名古屋駅前の「シネマスコーレ」という劇場に「『知事抹殺』の真実」という映画が掛かっている。福島県の佐藤栄佐久元知事が書いた「知事抹殺」の映像化に違いない。
この本はわたしも義憤に震えながら読みふけった一冊だった。
朝一番、上映時間の30分ほど前に駅前の路地に着くと、狭い路上いっぱいに開場を待つ人が溢れている。わたしも窓口に並んで25番の番号札を受け取った。
掲示されているポスターを見ると、どうやらこのシアター、ミニではあるが、エッジの効いた作品を精力的に上映しているようだ。
横にいた一桁の番号札を持つ中年男性に「よくいらっしゃるんですか?」と聞いてみると「ここは若松孝二監督が作った劇場なんやよ。名古屋の映画人の聖地なんよ」と気さくに教えてくれた。
映画は淡々と進んだ。元知事が国と東京電力のトラブル隠蔽(いんぺい)体質に牙をむいた事実にあっさりとしか触れていないシナリオが、わたしには少しもどかしかった。
だが、上映後、思いがけず、安孫子亘監督と元知事が舞台に登場すると、劇場のあちこちから「おーっ!」という深い歓声が上がった。
考えてみれば、日本は原発事故を防ぐためのチェック体制の余りに弱い国だった。それと同じ事が、司法制度にも言える。冤罪(えんざい)事件を防ぐためのチェック体制は脆弱(ぜいじゃく)。昨年、取り調べの可視化がようやく始まったとはいえ、言葉の暴力で理不尽に自白させる取り調べが生き残っている。
何気なく入った名古屋のミニシアターで、この国の無責任体質を突きつけられて、わたしは悲しくてやりきれなかった。
=2017年3月7日掲載=