休日のジムで出会う年上の女性がいる。いつもオデコにつけているヘアバンドが印象的。
「ヘアバンドきれい。エアロビクスですか?」と尋ねると「還暦過ぎたけど、少しは若く見せようと思って」と、笑って首を横に振る。こんな60代、ステキだと思っていた。
ある日、筋トレを終え、マットに寝そべってストレッチをしていると「枕元を、ごめんなさいね」という声が頭上から降ってきた。
見あげると、そばを通りかかった彼女である。「最近、枕元なんて言わないかなぁ~」と、照れている。
枕元……。そういえば子供の頃は、人が寝ているときはもちろん、無人の布団でも「枕元は歩かないこと。歩くのは、足の方よ」と、よく祖母に言われた。
寝床がベッドになってから、そのことは思い出さなかった。プレゼントを届けに来たサンタさんに「枕元は歩かないの!」などと言う人もいないだろう。
だがかつて、わたしたちの生活には、就寝時に頭を預ける場所を「聖域」として清浄に保つ、そんな習慣が確かに存在していた。
とはいえ、万物は流転する。「枕元」への気働きなど消えてしまっても、世界は何一つ変わらないだろう。
「失われた聖域」についての忘れかけていた記憶を、思わぬ場所でスーッと差し出されて、止まった時間……。
わたしはグズグズ、いつまでもマットの上に寝転んでいた。
=2013年2月21日掲載=