例年、見物客であふれる神宮外苑のいちょう並木。今年は、その賑わいに拍車がかかっているようだ。
理由の一つが、「再開発問題」だろう。老朽化した神宮球場と秩父宮ラグビー場を建て直し、千本近い樹木を伐採して、2棟の高層ビルを建設する計画に、激しい議論が巻き起こっている。「いちょう並木はどうなるの?」と、まっ先にいちょうの心配をした人も多かった。
今も、伐採プランは継続中。気の揉めるところだ。ただ、いちょう並木は保全されるそうである。
2つめの理由が「100年の節目」だろうか。テレビのニュースでも、「今年は、いちょうが移植されてちょうど100年」などと、よく解説されている。
かくいうわたしも「100年」に反応した一人だ。
個人的に、このいちょう並木はかつての通勤ルート。春は新緑。夏は木陰。秋はハードボイルド。鼻を突くあの匂いと、足元に敷き詰められた黄金色の絨毯の間を、滑って転んで膝を擦りむきながら必死に通勤したものである。臭くて危ないけど、気持ちいい。そんな矛盾の中を突き進むのが、この季節の醍醐味だった。
どんなによく知っている道でも、おっちょこちょいは、100年と聞けば条件反射で「行かねば!」と反応するってわけである。
そこで思い出したのだが、近所に住む100歳超えのおばあさんが、笑ってこう言っていた。「この頃、触らせて欲しいって、よく人に頼まれるの」。
そうか。長生きをしている人とふれ合うと、自分の寿命も伸びるという言い伝えが、今でも世の中で生きているのね。つまりご利益(りやく)ってこと。
そう考えると、この人出にも合点がいく。100歳のいちょう並木へのひそかなハイタッチ!
騒がしい人混みが、単なる見物ではなく、一種の祈りのように見えてきた。
=2023年12月8日掲載=