「物置のピアノ」という映画を見た。東中野で先月末に開催された「福島映像祭」。ドキュメンタリー作品群の中、唯一の物語色の強い映画だった。
開場が近づくと、大勢がロビーに詰め掛けた。客席は満員。風評被害に苦しむ伊達郡・桑折町の桃農家が舞台だが、ストーリーは、シンプルな青春物だった。
中学・高校時代を福島市で過ごしたわたしには、桃畑の空気感、エキストラが話す方言、お祭りの掛け声などが、どれも懐かしい。
クライマックスでジワッと来たのが呼び水になったのか、エンドロールに入ると、とうとう両目が決壊。
商店や町民の名前の字幕が尽きる事なく流れるエンドロール。その長さから、失ったものを取り戻そうとする人々の、エネルギーの質量が伝わってきた。
似内監督の舞台挨拶によると、撮影には町ぐるみで協力があったと言う。リアルな物置の作製、食事の炊き出し……。浪江町から避難していた方たちの出演についても、紹介があった。
われながら、なぜエンドロールで泣いているんだ?と考えた。
その感情の本質はおそらく、数日間の風向きに翻弄されてしまった、県北の町への愛しさだった。
県北、県中、県南、会津南会津、相双、いわき。
「福島復興」と一言で言うが、福島県はそもそも、異なる風土やアイデンティを持つ、59の市町村が寄り合ってできた「合衆国」だ。まして、震災後は住民の思いも千差万別。
明後日には、震災後初めての知事選が始まる。福島合衆国の舵取りをする「大統領選び」と、言い換える事ができるかもしれない。
個性の違う町が混在している状況は、やっかいだ。だが、やっかいな個性を束ねて一つになれるところが、福島の魅力だと思う。
=2014年10月7日掲載=