先月末、10年に一度と言われる大寒波がやってきた。全国913ヵ所の観測点のうち867地点の最低気温が氷点下になった。
関東の空も雪催(ゆきもよい)で、その日、予定の仕事がリモートになったわたしは、朝からぽ〜っとテレビを見ていた。
チャンネルを切り替えながら画面をハシゴしていると「けさは、東京都心でも氷が張りました」というニュースが幾度となく流れた。どの番組の映像も日比谷公園の池と噴水だった。
え、ほかにも池はあるじゃないの。和田倉公園の噴水はNG? いつもカルガモのお引っ越しを伝えている大手町の人工池ではいけないの? そんなことを自問しているうちに、うーむ、どうやら、それではダメらしいと気がついた。
おそらく、みんなのアタマに「…と言えば、ココ」の回路ができあがっていて、都心の氷と言えば、どうしても日比谷公園の噴水なのである。
わたしたちは千年以上前から、梅と言えば太宰府を思い、紅葉と言えば小倉山を連想してきた。このように、上の句を聞いて下の句を思い浮かべる感性は、日本文化の中に脈々と流れるお約束でもある。
そうそう、わたしが子どもの頃の福島県内のニュースでも、夏休みの初日と言えば、決まって福島市の新浜公園の噴水池ではしゃぐ子どもたちの映像が流れるお約束になっていた。
「…と言えば」の条件は、だれもがよく知っていること。そして絵になる場所であること。これが安定のお約束。
ひねりのないお決まりの発想は世の中から活力を奪う。だが一方で、「・・・と言えば」のお約束風物詩は、わたしたちの季節感を豊かに彩ってくれるのである。
以上、お約束っぽい締めですが。
=2023年2月24日掲載=