先月、所用でバルセロナとパリにいくことになった。
パリの暴動が心配だったので、ホテルは慎重にモンパルナスの古宿を選んだ。だが、それ以外の準備はケセラセラ。いざとなったら、きっと何とかなるだろう。
だが、徐々にふくらんできた不安が1つ。それは11日間のウォシュレットのない生活のこと。
このような尾籠(びろう)な話を、上品な福島民報にのせてもよいの? と迷いつつも、まいっか! で、書いてしまうのだが……。
80年代に「おしりだって、洗ってほしい」という名コピーとともに、一気に日本中に広まったウォシュレット。
今世紀の初めには、あのマドンナが来日時に「温かな便座に会いに来たわ〜」と発言し、このまま世界標準になっていくのではないか? と思わせた。
だが、海外でウォシュレットはまだまだ普及していない。ヨーロッパ在住の友人にも聞いたが、「ホテルにも美術館にも、絶対に付いてないよ! 」とのこと。
それはマズい。世の中には、必需ではないが必要なものがある。痔主(じぬし)でなくても、便秘でなくても、温かさと清らかさはどうしても欲しい……。
そこでアマゾンで「携帯用 ウォシュレット」を検索。評判のいい、10㎝ほどのノズルのついた、容量が450mlのポリプロピレンのボトルタイプのやつを1000円くらいで購入した。
デザインはパッとしないが、中にお湯を入れて、キュッキュッと手で押すだけの簡単さ。案の定、本物のウォシュレットには一度も出会えなかったので、旅の間持参して大正解であった!
……なんて、単純に喜んじゃってよいのだろうか?
今後、屈強なヨーロッパ人と様々な分野で渡り合うとき、われわれのこのお尻の(精神の)ヤワさが致命傷にならなければいいのだけれど…。
自分のお尻を棚にあげ、こみあげてきた心配が、わたしの胸をざわつかせた。
=2019年3月8日掲載=