先日、知人のお見舞いで都内の病院に行くと、背中に名前の書かれた車椅子が目についた。
まさか、盗難が増えて、自分の名前を書かないと危なくなったとか?
気になって、見回してみると、別の車椅子にも同じ名前が書いてある。そうか!これって、病院に車椅子を寄贈した人の名前なんだ。
その後、病院の廊下で、名前を背負った車椅子を見掛けるたび、わたしはだんだん、その篤志家の方のことが心配になってきた。
ネット社会になって、個人情報の取り扱いに、皆が異様なほど神経質になっている昨今である。学校のクラスの連絡網さえ、作られなくなった時代に、こんなにも個人の名前をさらしたりして、オレオレ詐欺に狙われたりしてはいないだろうか?
考えているうちに、一方で、個人の名前出しが増えている現実に、気が回った。
例えば最近、企業のコールセンターなどに電話をすると「はい!××会社の○○です」と名乗られるのが普通になった。
スーパーでも、名前を出してディスプレーされている「○○さんが育てたジャガイモ」や「○○さんの白菜」は、相変わらずの人気商品のようである。
今は、個人の名前はできるだけ秘しておきましょうというネット社会特有の潮流と、名前くらいはぶっちゃけて、お客様との信頼関係を結びましょうというリアルな潮流が、ザバーン!と、目の前でぶつかり合っている、そんな時代なのだろう。
神社の玉垣に、奉納した人の名前が彫られているのは、昔からよく見る光景である。皆が堂々と名前を出して寄付をし、意見をいう世の中こそが、きっと一番健全な時空なのだと思う。
ふいに、顔も素性も知らない、名前だけ知ってる「○○榮作さん」に、ありがとう!を伝えたい想いが、込みあげてきた。
=2015年12月1日掲載=