先週、東京駅で長野行きの新幹線に乗ろうとしていると、ホームの先端に人が集まっている。近づいてみると、乗客が入れ替わり立ち替わり、撮影会の真っ最中。
そうか、北陸新幹線対応の新型車両が走り始めていたのかとまじまじ眺める。
「エンツォフェラーリ」のデザイナー奥山清行さん監修のE7系は、ホームの谷間でよく目立っている。
その夜、宿泊先でテレビをつけると、今度は富山駅のホームでくす玉が割られ若い女性が晴れやかにインタビューに答える姿が映し出された。金沢~上越妙高間で試験運転が始まった新幹線の歓迎式典のようだ。
3年前、日本列島を北に向かって新青森まで、東北新幹線の「はやぶさ」が走り始めたのは、あの震災の6日前。一方、南に向かって九州新幹線が全線開業したのは、震災の翌日。
あの春は本当は、北へ南へつながる新幹線を、日本中が温かく祝福できる春だった。だが、天災と、それに続く人災が、平穏を奪った。新幹線の開業や延伸を静かに喜べるのは、幸せである。
昭和の末から平成にかけて、わたしたちは、東北新幹線が大宮、上野、そして東京まで、数年ごと延びる嬉しさを身をもって味わった。わたしなど、便利さを人一倍享受した一人だろう。特急「ひばり」や急行「まつしま」で、ゆるゆると運ばれるのとは違う、時差のない東京が待っていた。
そんな人間が言うのもおかしいが、新幹線がもたらすのは、便利や経済効果だけではない。気がつけば退屈な均一化も運んで来る。
新幹線で、日本中同じ顔つきをした観光地に連れて行かれる事を望む人は、おそらく誰もいない。北陸の皆さんには、自分たちの顔つきに、愚直なくらいこだわって!と思うのだ。
=2014年8月19日掲載=