通っているジムのトイレに、見慣れた張り紙がある。5年以上前から同じ場所にあり、すわると目に飛びこんでくる。
最初に見た時は、首をひねってしまった。もちろんフタを閉めた方が、便座からの放熱は少ないだろう。だからって「節約」なんて書かなくてもいいのに…。
美と健康、憧れを売りにするスポーツジムで、生活感丸出しの言葉は、ちょっと困ると思ったのだ。
しかし、その感覚が浅はかだったことに、震災が起きてから、気がついた。
それから2年半の間に、原発事故への思いと電力不足への危機意識が重なって、反「電気のムダ使い」は、この国の「当たり前」になった。
同時に、電力会社に、発電と電力供給を任せることへの懐疑が強まっている。
電気はもっと自由でいいと、各自が気づいたのだ。
実際、友人の一人は、自宅マンションの管理組合を動かして、電気の供給元を既存の大手電力会社から、後発の電気事業者に変更することに成功した。
別の友人は、下敷き4枚分ほどの小型太陽光パネルと、裁縫箱ほどのバッテリーの「ナノ発電所セット」を購入。庭に降り注ぐ太陽光で発電した電気で、今夏の扇風機を回している。
わたしも思い切って、自宅の電気料金プランを変更。予想以上に電気代が下がったことに、驚いている。
だが、世間一般から、原発事故の衝撃が次第に薄れつつある今、日本人みんなが共鳴できる新しい言葉は、見つかるのだろうか。
わたしたちの心に、堂々と張れる張り紙はあるのだろうか。
便器のフタを、こまめに閉じること以外に。
=2013年8月20日掲載=