先日、新橋駅のホームで車両に片足をかけた瞬間、後ろから誰かにひじをつかまれた。あせって振り向くと、髪を紫に染めた高齢の女性が、これ山手線じゃないですよね?と、不安そうに地団駄(じだんだ)を踏んでいる。
ふいに、ピンときて、あぁ、大丈夫、乗ってくださいと、その人を車内に引きずり込んだ。
走り出した車内で、奇妙な色だが、山手線に間違いないと説明。彼女はほっとした表情を浮かべた。
先月から山手線に1時間に1本ずつ、赤レンガ色の車両が走っている。東京駅開業百周年のイベントらしい。だが山手線イコール緑色と長年認識して来た人にいきなりの茶色は、晴天の霹靂だろう。
わたしたちも、学生時代は山手線をミドリムシと呼んでいた。その頃からずっと緑色なのだから、予想外の色の登場に、あわててしまう人もいるだろう。
日本人は、古来より、色にはデリケートな感性を持っていた。だが今、記号としての色の選択は、なんだかグズグズ。もっと厳格であっていいと思うのに…。
例えばサムライブルー。あの爽やかな青色に恨みはないし、背中にカズの名前の入ったレプリカだって持っている。だがなぜ、サッカー代表のユニフォームが青、野球がグレー、バレーボールが黒なのだろう。
ナショナルカラーという視点で考えれば、日本は絶対的に、赤と白である。ブラジルが、どんなスポーツでもカナリア軍団であるように、日本のチームカラーに、青やグレーや黒の入りこむ余地などないはず。
同じように、色を記号と捉えれば、山手線は百年たっても、緑色なのである。
人は何かを新しくしようとして、いつも一番大切な何かを失ってしまう。
=2014年11月18日掲載=