巡る季節に合わせて、宅配便が届く。そのときだけは「届いたよ!」と、電話する。18才で上京して以来、それが母との約束だった。
春は、山菜の煮物。夏は、ひき肉を炒めたシソ味噌。秋は、小名浜に揚がったサンマのやわらか煮。冬は、地場野菜たっぷりのけんちん汁の具……。わたしは都会に住みながら、素朴な郷土料理を、あたりまえのように口にしてきたのである。
しかし、2011年の3月以降、その習慣がパタリと途絶えた。
5月になって、久しぶりに届いた段ボールに詰まっていたのは、新聞の束だった。何を送ったらいいのか困り果てた母は、せめて、福島の現状を伝えようと考えたのだろう。
それから何度となく、福島民報入りの段ボール箱を受け取った。
昨年末の大掃除では、わたしはこの新聞の山を処分することができなかった。どこの国の出来事よりもホットなニュースで埋まった福島民報の束は、わたしの本棚の最上段に鎮座して、この1年を過ごしたのである。
最近になって、新聞宅配便は影をひそめ、この秋は、2年ぶりにサンマ煮を、つづいて、五目おこわを、そして、いとこが収穫した梨を受け取った。
狭い仕事場を占領していた古新聞の束は、来週の有価ゴミの回収に出そうと思う。
でも、捨てても捨てられない思いがある。処分する場所は、見つからない。
=2012年12月20日掲載=