仕事で都心に出る時は、自宅から最寄り駅まで、いつもチャリを飛ばして行く。
駅に続く坂道の片側は数メートルほどの擁壁(ようへき)になっていて、その上に数件の住宅が建っている。
住宅のフェンスに、畳くらいの大きさの看板が掛かっていて、青い文字で標語が書かれている。
『すぐ相談 思いつめるな ひとりだけ』
わたしは必ずこの看板の下で首をひねる。この街に引っ越してきてから7年。365日、首をひねってきたのだから、ある意味、囚われてきたのである。
4年前、やはり首をひねりながら、ここを通っていると、目の前を歩く母子連れが声に出して標語を読み上げた。それを聞いて、あ、そうかぁ〜と、チャリを漕ぐ膝を叩いた。最後の『ひとりだけ』が変なんだな。ここを『ひとりだけで』にすると意味が通るぞ!それからはエアーの『で』を標語のお尻に勝手にくっつけてモゴモゴ読み上げながら、看板下を走るようになった。
1年ほどそうしていたが、そのうちに最後の『で』がやっぱり邪魔になってきた。この手の標語は、切りよく語呂よく収めるもの。
そこで心の中で
『すぐ相談 思いつめるな ひとりきり』
と読み上げることにした。それが1年ほど。その後は『ただひとり』に変えて1年。さらに『誰かいる』に変えて1年。でもモヤモヤの種は消えなかった。
いつのまにかこの標語がわたしにとって、世界中の数学者が350年かけても解けなかった「フェルマーの最終定理」のごとき大命題になっていった。
さて先月のある朝、キコキコとチャリを走行中、何のきっかけもなく突然答えが降ってきた。それは…。
『すぐ相談。思いつめるな 一人じゃない』
よっしゃ! 語呂も後味もいい。
その瞬間、歓喜とともに、この堂々巡りに7年も費やしてきたじぶんの無力に、ちょっと泣けた。
=2023年5月12日掲載=