最近、あちこちの会社の社長さんと話をすると、皆さん似たようなことを言う。
自動車部品を輸出しているK社長は「海外は嫌だ、という社員ばかりで…」と。
四国にある繊維会社のS社長は「東京勤務を募っても、手を上げる人がいなくて…」と、異口同音。
外へ外へと攻めて行くより、慣れた場所でのワークライフ・バランスを選ぶ若者が増えているということか?
おそらく、少子化や震災などによって、親元を離れにくかったり、昨今の物騒な世界情勢など、原因は様々だろう。だが、わたしのように、お尻にバブルのシッポがはえている人間からすると、せっかくのチャンスを棒に振るなんて、もったいない!と、ついつい残念に思ってしまう。
さて、この4月、千葉市美術館で、吉田博という知られざる洋画家の大回顧展が開催された。美術にうといわたしは、絵の鑑賞もさることながら、説明パネルの前に立ち尽くしてしまった。
語られていたのは、日本の風景を西洋の手法で描き、日本アルプスに野営しながら油彩画を描き、外国の景色を木版画で表現した、胆力のある画家の生涯だった。
なかでも痛快だったのは、彼が23歳の時(明治32年)、ありったけの水彩画の作品を携えて渡米。言葉もわからぬデトロイトとボストンで展覧会を開くと、その絵が絶賛され、先を争うように売れたというくだり。
その後も、自分の足で山に登っては山を描き、自分の目でエジプトのスフィンクスやインドのタージ・マハール等の名勝を見ては、木版画として昇華した。
世界の広さに臆(おく)さない。まだ見ぬ世界を厭(いと)わない。そんな画家の生き方に、わたしはしなやかな開拓者魂を感じた。
美術の教科書には載らなくても、はるか明治時代に、こんなにも骨太に生きた日本人画家がいたのである。
=2016年7月23日掲載=