取材の帰り、だだっ広い東京大学の構内を歩いていると、古びたレンガ造りの建物に新しい看板が掛かっていて、「健康と医学の博物館」と書いてあった。
入場無料というので入ってみると、暗い館内に、誇らしげに存在を主張する一枚のパネルが目についた。
そこには「がんの細胞レベルでの研究に道を開いた吉田肉腫」という文字と、古いモノクロの人物写真が掲げられていた。
どうやら、この白衣の人が、シロネズミのお腹で増殖する細胞(吉田肉腫)を発見して、世界のがん研究を大きく発展させた吉田博士のようだ。
その横に掲示されていた日本地図には、「吉田富三記念館」の場所が矢印でマークされていた。ん? それは何と、福島県の県南。石川郡浅川町ではないか。
おいおい。名字が同じで隣町出身の偉人を、今まで知らなかったってわけ?
慌てて最初のパネルまでUターン。展示されていた「吉田富三博士の生涯」と題する、少年向け漫画の最後のページまで、夢中で読破したことはいうまでもない。
漫画の中では、12歳で上京し、府立第一中学校を受験するも、口頭試問で、福島弁の訛りがダメ!と不合格になったエピソードが、涙ものであった。
しかし博士はこちらの想像をはるかに超えた人だった。後年、文部省が管轄する国語審議会の委員を務めるや、「日本語の表記は漢字、かな混じり文を基本にする」という吉田提案を打ち出した。
この提案により、今では信じられないが、明治時代から長年この国でくすぶっていた漢字廃止論や、日本語をローマ字表記にしちゃおうといった議論に、終止符が打たれたのだ。
ノーベル医学賞の候補にもなりながら、1973年に他界した吉田富三博士。いくらわたしが無知でも、どうして今までこんなにすごい、マルチな人物を知らずに生きてきたのだろう。
だが、物知らずな人間は時として、まっさらな驚きという贈り物を、手にすることができるのである。
=2019年7月26日掲載=