昨年末をピークにして、あらゆる行事やイベントが「平成最後の」という言葉を、頭の上にのせて通り過ぎていった。
クリスマス、初日の出、成人式、センター試験……。
気軽なやつでは、婚活パーティ、ダイエット、プチ整形までが、「平成最後の」付きで語られていた。
昨年の初夏、「平成最後の夏だから、旅に出ます! 」と若い友人が口にするのを聞いた時は新鮮で、なるほど〜と思った。
だが、この言葉が消費されるスピードは速かった。わたしのように言葉フェチな人間は、ただ目を白黒させながら眺めていた。
ひょっとしたら、このフレーズが大流行した背景には、今の人たちが持つ「さよならエネルギー」の強さが関係していたのかもしれない。
この「さよならエネルギー」、数年前、東急東横線渋谷駅の最後の日に出くわした時にも感じた。泣きながら、夢中で電車に手を振る人々の姿は、あまりにもやるせなく、「時代の終わりを惜しむこと」への熱量は、驚くほど高かった。
歴史をさかのぼってみると、元号は今までに247個(諸説あり)。明治以降は一世一元になったので長いが、一つの元号の長さの平均を計算すると、約5年半である。
元号が使われ始めたばかりの奈良時代は、瑞雲(ずいうん)を見たとか、金や白亀や白キジが献上されたとか……。吉事にかこつけて、よく改元されていたようだ。
平安時代の半ば以降は、日照りや火災、すい星や流行病などの凶事が、しばしば改元の理由になった。
そのような年号と比べたら、31年というのは、もの凄く長い。そして、人々の日常生活の中に根付き、こんなに最後まで惜しまれる元号というのも、きっと珍しいに違いない。
人々の「さよならエネルギー」を内に秘めて、「平成最後の」(あ、ついうっかり!)冬が過ぎようとしている。
=2019年1月25日掲載=