昨年のある日、仕事先の人が、突然会社を辞めた。別の日、隣家が行き先も告げず引っ越した。数日後、通勤路にあった銀杏の大木が跡形もなく消えていた。
かの文豪の、さよならだけが人生だ!という一節が心をよぎる日々である。
東京、千駄ヶ谷にある国立競技場との別れも近づいて来た。来週13日、全国高校サッカーの決勝戦が、最後の晴れ舞台になる。
新スタジアムのデザインはご存知、ザハ・ハディドによる、宇宙船か深海クラゲのようなものに決定。
だが、かつてこの近くに個人事務所を開き、人情豊かな商店街で8年間を過ごした身からすれば、未来的デザインの新競技場には、リアリティが欠けている。
固いシートに腰をかがめ焼きそばを頬張りながら、カール・ルイスやブブカ、カズやラモスらの熱戦に、目を見張って来たのだ。
昨年11月の「競技場サヨナラ・ラン」にもエントリーしたが、仕事で欠場。
サヨナラしそびれた後悔から、わたしは年末の「スタンド見学デー」に、いそいそと出掛けた。
見学者証を首に下げ、高いシートに座る。青々とした芝生や赤茶色のトラックに、名残惜しげにカメラのレンズを向ける人の姿が目に入る。
その時、よく通る金属音が耳を打った。まるでインドネシアの打楽器=ガムランのような響き。見回すとスタンド最上段で万国旗を飾っていたロープがそれぞれ北風にあおられ、ポン、ポンとポールに当たって、乾いた音を響かせている。
試合の熱狂の中で、こんな生き物のような音の連なりを聞いた事はない。
初めて聞く風のガムランは、時の大河を自由気ままに超えて行く。寂しくも、どこか快活な音楽だった。
=2014年1月7日掲載=