5月の連休は長野に行った。帰京の日、関越道に乗ってすぐ、はるか前方の嵐山PA付近で、ダンプカーにワゴン車が追突、上り車線が通行止めになっているという情報が入ってきた。
助手席に乗っていたわたしは、ナビの出番!とばかりに、ついつい張り切る。
ツイッター情報をためつすがめつ、スマホの地図を逆さまにひっくり返しながら考えた。関越道の下道(したみち)も、きっと渋滞しているだろう。だったら、距離にして1.5倍ほど、迂回する事にはなるが、高崎から北関東道を抜け、岩舟から東北道に乗って都内に入るルートはどうだろう?
想像以上の大事故になり、通行止めも約6時間続いた。結果的に、この選択は正しかったようである。
そんなアクシデントの一方、北関東道、鬼怒川を超えた栃木県佐野市辺りで、思わず涙腺が決壊してしまうような出来事があった。
ふいに、左前方、緑の山並みの中腹に、「酒は大七」の文字列が、白く浮き出すように姿を現したのである。最近、福島でも、とんと出会わなくなった看板であった。
懐かしくないはずがない。
福島の子どもは皆同じかもしれないが、わたしが最初に読めるようになった漢字も、「酒」と、「大」と、「七」であった。阿武隈高地の山肌に、何度も、何度も、現れるこの文字を、東北本線の車窓から、福島交通のバスの窓から、仰ぎ見ながら育ったのだ。
東京に出てからも「福島ってさ、山という山に、大文字焼きみたいな看板、立ってるでしょ?」と、何度か、何人かから、聞かれたっけ。
美しい野立て看板は、ロサンゼルスのリー山に立つ「HOLLY WOOD」の白文字サインにも似て…。
それは思い出という樽(たる)の蓋(ふた)であり、開けると、中から香り立つ名酒があふれ出す。故郷の記憶への、奇跡のシフトレバーなのだった。
=2016年6月7日掲載=