先週の雨の日、六本木の国立新美術館に「日展」を見に行くと、入口横で「イヴ・サンローラン展」が開催されていた。テレビやネットでも話題。激混みと聞いていた。だが、入場レーンは作られているものの、順番を待つ人はいないようだ。
ん? 雨降りだから? 会期の半ばだから? それとも、人気ガタ落ち? などと思いあぐねたあげく、貧乏性のわたしは「すいてるうちに入らにゃ、損々!」とばかりに館外の売り場まで引き返してチケットを買った。
はっきり言って、わたしとサンローランには、何一つ接点がない。仕事はもちろん、服を試着したことも、ショップに入ったことさえ、多分ない。住む世界が違うハイブランドと決めつけて、長い間、距離を置いてきた。
あえて記憶の重箱の隅をつつくなら……。サンローランのオードトワレ「Y(フランス語読みでイグレック)」を愛用していたことくらいか。それだって、たまたまもらったフランス土産が自分の頭文字だったのがうれしくて、使い続けただけのこと。
しかし、会場に入ると、マネキンが着ているどの服も、初めてなのになぜか懐かしい。名だたる絵画を生で見た時のようなドッキリ感に襲われる。
緻密な職人仕事には隙がなく、人々が「着崩し」を覚える以前の洋服たちは、宝石みたいに輝いている。
最後のコーナーはビデオ上映。1998年サッカーW杯フランス大会決勝の前に300人のモデルが参加した壮大なファッションショーの様子が映し出されている。彼のブランドを身に着けた女性たちが、ピッチ上を縦横無尽にランウェイウォーク。どの顔も自信に満ちて、この服を着ている自分が好き!ってオーラが、思いっきり炸裂している。
接点がないなんてウソ。わたしたち女性は彼のデザインから、「自信」というかけがえのないギフトを受け取っていたのである。
=2023年11月24日掲載=