台風19号で福島県は、甚大な被害に見舞われてしまった。
胸が痛くなるようなニュースが、飛び込んでくる。それらは今も、県内で続いている現実である。
人的被害も多く、その上、刈り遅れた黄金色の稲穂の先が、水に浸かってしまった。ビニールハウスのキュウリも、泥をかぶってしまった。工場からは、危険な薬品などがあふれ出してしまった。何という秋だ。
知らないだけで、知り合いや友だちが被災しているかもしれない。安全地帯にいて、オタオタと心配している自分が、ふがいない。
何となく、福島は安全な土地だと信じて大人になった。だが故郷では、2011年からこっち、信じられないことばかりが立て続けに起きる。心の中で飼い慣らしてきた、根拠のない「何となく」を捨てる時が来たのだと、つくづく思う。
東日本にいると、どうしても台風のことは対岸の火事になりがちである。直撃されることは少ないから。
わたしも以前、台風の発生を全く考慮せずに、ロケの予定を組んだことがある。すると、沖縄出身の仕事仲間から、危機意識がないと、叱られた。彼女は子どもの頃、毎年、台風で自宅の屋根が飛んだそうだ。
打ち明けると、その時わたしはこう思った。わたしの育った福島は、日本一安全なところなの。だから、危機意識が薄いのよ、と。
だがその考えは、傲慢だった。昭和の子ども時代、比較的災害が少なかったのは、ただの偶然。たまたまにすぎなかったのに……。
とはいえ、福島を離れて時が立ったからこそ、捨てられない理想もある。故郷が、再び「被災地」と呼ばれるのは、つらく、悲しい。
自然に対して人が無力であることは言うを待たないが、住む人のいのちをもっともっともっと大切にする、県や市や町や村であってほしい。
このような願い、そして祈りは、むなしい遠吠えなどではないはずである。
=2019年10月25日掲載=