わたしが中学2年の時、家族で須賀川市から福島市に引っ越しをした。
クラスメイトは思いのほか大人びていて、少し緊張した。
うれしかったのは、新しい住まいが、自転車に乗ったらものの20分くらいで、街の目抜き通りまで行けちゃう距離にあったこと。日曜日の午後になると「西沢書店で、立ち読みしてくるねー」といって、家を抜け出した。
立ち読みはただの言い訳。本当は、ウロついていただけだった。複数のデパートが軒を連ねる県庁所在地は、農村育ちの目にはまぶしかった。ハイセンスな洋服を選んでいる女性を見るだけで、大人になった気がした。
ところが、わたしが街の主人公になる日は突然やってきた。中合のエスカレーター横で桜貝のワゴンセールが行われていて、数枚の桜貝を詰めた5cmほどのコルク瓶が並んでいた。
不思議なことだが、昭和の女子は、桜貝、まりも、星砂など、大自然の造形物に強いロマンを感じていた。アンアンやノンノの影響だろうか。「友情の証し」に友だちと交換したりした。
その上、コルク瓶にも目がなかった。瓶に手紙を入れて海に流し、外国人の友だちを作ることを本気で夢見ていた。
そのワゴンは、そんな桜貝とコルク瓶を、ちんまりと絶妙に合体させていた。1本300円。破格である。
金縛りにあったように立ち尽くしたわたしの耳に「貯めていたお年玉を使うのは(大人になるのは)今でしょ!」という声が聞こえた。
財布の底から、小さくたたんだ虎の子の1万円札を出すと、33本のコルク瓶が手に入った。これでもう一生、親友作りには困らないぞ! と鳥肌が立ったことを覚えている。
昨夜、探してみると、引き出しの奥から新聞紙に包まれた7本のコルク瓶が見つかった。はて、残りの26本は? 「友情の証し」として、クラスメイトにでも、もらわれていったのだろうか。
昭和の青春は、ちょっと切ない、桜貝の小瓶。さようなら中合、青春のデパート。
=2020年8月28日掲載=