時として怒りは行き先を失い、空回りした感情が虚空を漂う。
先日、ビルのエレベーターで、幼児二人の手を引き、一人を胸に抱いた母親と同乗した。
そこに、車椅子の女性が滑り込んできた。明るい、菜の花色のスーツがまぶしい。
ボタンを押すのが不自由な様子で、「二階を押して下さい」と言う。見ると袖の先から手が出ていない。二階に停まると、ニコッと魅力的に小首をかしげ、サッと降りて行く。
とそのとき、「ママの言うこと聞かないとああなっちゃうのよ!」という、とげとげしい言葉が耳に飛び込んできた。
愚かな教育をする無神経な母親に怒りを感じた。
「ちょっと顔貸して」と言おうとしたが、子供が離れないのは明らか。ならば子供の前で母親を非難してやろうと、悪意から思い、実行に移した。
「あんたたちのママは!」と、ここまでは強く言葉が出たが、続きを「間違ってる」と言おうか?「嘘つきだ」にしようか?で、迷ってしまった。子供は目を見張っている。
あろうことか、わたしの口から出た言葉は、「でべそ!」
しかも途中でひっくり返り、妙な裏声になっていた。
「何、この人!」と、母親は語気荒くののしりながら降りていった。
わたしは、ふがいなさに、泣きたかった。
正義にかられた弱虫ほど、あてにならないと言われる。それが、わたしだった。
=2013年3月21日掲載=