最近、東京郊外の幹線道路をクルマで走っていると、工事中の白いシートにおおわれた建物が目につく。
バブルの最盛期、ポコポコと量産されたマンションが、化粧直しを必要とする年齢に達したのだ。
ご多分にもれず、わたしの自宅マンションも、先月から、大規模修繕工事中である。
建物全体に、工事用の足場とシートが掛けられ、中廊下や居住スペースは、一日中まっくら。朝8時半になると、電動ドリルで外壁タイルを削り取る爆音が響きわたり、室内では、会話さえままならない。
と、いきなり「バーロー!」という、現場の親方の怒鳴り声が、頭上の足場から落っこちてきて、ブルブルと窓ガラスを震わせる。
怒られている若者の気持ちも重なって、一刻も早く外出しなければと焦ってしまう。
わたしが自宅を持とうとしたのはバブルのピーク。7%という現在では考えられない高金利で、住宅金融公庫のローンを組んで、返済した。
住まいはまさに、汗と涙の結晶だった。
そんな「住むこと」や「持つこと」の意味が揺らいだのが、2年前の震災である。
以来、シビアな現実は忘却を許さず、新しい答えを探せと、わたしたちをせっつく。
解けない問いが日常になった。あの日からの、短い2年の月日である。
=2013年3月7日掲載=