打ち合わせの帰り、日本橋の裏通りを歩いていると、無数のさざめきが聞こえてきた。
耳だけを頼りに近づくと、ビルの谷間にある福徳神社横の通路に、何百個ものカラフルな江戸風鈴と短冊がゆらゆら風に舞っていた。
熱風が吹き上がるビル街にあって、涼やかな音色も、はためく短冊も、問答無用に心地よい。思わずふわっと目を閉じてしまう。
そのうち、胸の奥のほうがモゾモゾしはじめた。よみがえってきたのは、忘れかけていた風鈴の記憶……。
振り返ること、ほぼ半世紀。わたしが中学生だった頃、世間を震撼させる事件が起きた。「ピアノ殺人事件」である。神奈川県の県営住宅で一人の男が、階下のピアノの音がうるさいという理由で母娘3人を刺殺したのだ。そのニュースは、日本中を駆け巡った。今までご近所のよしみで許し、許されてきた「生活音」。それが誰かの殺意を引き起こした事実に人々は凍りついた。
事件の余波は、当時父の仕事の関係で福島市内の小さなアパートの1階に住んでいたわが家にも及んだ。
わたしと妹は、母からピアノの練習を夕方5時までに終えるように厳命された。おまけに、お風呂の中で歌うことや、室内でのボール蹴りも禁止に。親たちはきっと、生活騒音について真剣に考えたのだろう。
母が背伸びをして、縁側のカーテンレールに下がっていた赤い風鈴をそっと外した時の悲しそうな表情までが思い出された。
日本橋の風鈴スポットには、外国人観光客の列ができていた。その中の一人、野球帽をかぶった高齢の白人男性がわざわざキャップを脱ぎ、パン・パン!と風鈴にかしわ手を打った。彼の目には、風鈴が小さな神さまのように映ったのだろうか。
たまたま出会った街角の納涼スポット。やさしくハモる風鈴の音色が、幾重にも積み重なった過去の時間をやすやすと巻き戻した。
=2023年8月25日掲載=