年下の友人Mちゃんは、コスメ番長である。最新のメーキャップ・テクニックで、すっぴんにしか見えない完璧なナチュラルメークを日々仕上げている。
彼女に言わせると、わたしのメークには、光と影が足りないそうだ。「鼻筋にはハイライトを、くぼんだ部分にはシャドウを入れる。そしたらもっと立体感が出るのに」と、いつも残念そうに唇をかむ。
さて先日のこと。須賀川の実家に帰って古いアルバムをめくっていると、青い法被(はっぴ)を着て、頭に手ぬぐいを巻いた4、5歳くらいのわたしが、澄まし顔で写っていた。
きっと、夏祭りだろう。鼻筋には、白粉(おしろい)の線がスーッと引かれている。おおお、まさにMちゃんおすすめのハイライトではないか。だがわたしの胸には、何やら苦い思い出がふわふわと浮上してきた。
それは、床屋さんのおばちゃんの指で鼻を撫ぜられた記憶だった。大きな鏡に映る、刈り上げ終わった顔のまん中には「ここが鼻よ!」というように。くっきり白い線が引かれていた。
次からは鼻白粉を遠慮したいと、親に頼んで訴えた覚えがある。だがおばちゃんは笑って取り合わない。そのうち床屋さんと聞くと泣いて嫌がるようになり、いつしか伸ばし放題の三つ編みに。
おそらくわたしは近所の悪童たちに、床屋さんに行ったと知られたくなかったのだ。負けず嫌いの5歳児にとって、見た目を気にするメメしい行為に思えたのかも。子どもなりにカッコつけたかったんだろう。
今なら、ハレの日ならではのあの白い線は、日本古来の神様との交信なんだと理解できるが、子どもにそんな考えは通用しない。
もしあの頃のじぶんに会えたら?
「あなたの鼻が白かろうと黒かろうと、だ〜れも気にしてないよ」と、伝えたい。
=2023年6月23日掲載=