昨年、ディズニー映画「アナと雪の女王」が大ヒットした。覚えやすい主題歌や、2人のヒロイン設定もさる事ながら、タイトルの魅力も大きかった。なにしろ原題は、「FROZEN(凍りついて)」なのである。それが、わかりやすく「アナと雪の女王」と訳され、さらに「アナ雪」と短縮されて、映画はブームの階段を駆けあがって行った。
これとは逆に、日本人の豊かな語彙(ごい)が、わたしたちに大いなる勘違いをさせてしまう事もある。
一例を上げれば「終戦」という言葉がそれだ。わたしたちは、先の戦争の決着を「敗戦」ではなく、まして「降伏」や「占領」でもなく、70年間、「終戦」と呼び習わしてきた。
「終戦」というのは、かなり曖昧な言葉である。雨が「止みました」というのと同じニュアンスで、戦争が「終わりました」と言う感じ。
自然と一体になって生きる日本人らしくもあるが、この言い換えが、当事者意識をはぐらかし、戦争の歴史を「ひとごと」にしてしまった印象は否めない。
さて、ミズーリ号で調印された降伏文書の原本が、20年ぶりに展示されると聞いて、先週、外務省外交資料館まで足を運んだ。
文書は見開きの英文。左ページの冒頭には、「SURRENDER(降伏)」という単語が置かれ、右ページに重光葵やマッカーサーの署名が見える。その下でカナダ代表が署名欄を間違えて、各国代表の署名が、順繰りにずれている。
だが、こうして、直に「降伏」した証拠を見せ付けられると、「終戦」という言葉は、日本人にとって居心地のよいニュアンスへの「意訳」だったんだなと、痛感せずにはいられない。
言葉は、よくも悪くも、人を動かす。何と取り扱いの難しい、道具なのだろう。
=2015年9月15日掲載=