長年都内をウロチョロしている間に、得意な街とそうでない街ができている。
わたしの場合、後者の代表選手は池袋だ。土地勘がなく、いまだに「西武が東口で、東武が西口!」という、東京初心者専用の合言葉をつぶやきながら、駅の出口を探す始末である。
反対に、勝手を知っているのが銀座だ。最初に勤めた会社が、京橋サイドの銀座1丁目、転職した先が、新橋サイドの銀座8丁目。両端に詳しいので、すっかりわかったつもりになっている。
銀座は最近、プチプラ(低価格)ショップが増えて、6月末には老舗のデパート「松坂屋」が閉店した。
歩道を占拠する、中国人富裕層の甲高い声が天を突き、確かに、通りの雰囲気は一変したように見える。
だが、大通りだけが銀座なのではない。鉄の格子戸に施錠された路地こそ増えたが、カニ歩きでなければ通れないほど狭い、ビルとビルの隙間の裏路地は、まだまだ健在。人呼んで銀座の「けものみち」である。
プラスチックのビールケースに行く手を阻まれたり、太った猫のいる神社が現れたり、盛り塩が置かれていたりする空間の匂いはそのままである。
わたしがかつて通勤ルートにしていた裏道には、1件の喫茶店があった。毎朝立ちどまって、黒いガラス扉を鏡代わりにしたものである。
「鏡のうしろへ回ってみても、私はそこにいないのですよ。お嬢さん!」という詩は、朔太郎だったか。
考えてみれば、毎朝同じ時間に現れて、ガラス越しに百面相する女の姿は、この店の主人にしたら、災難だったことだろう。
昼なお暗い、けもの道を抜け出した時、通りは、とりわけ輝いて見える。
大通りだけを歩いている人は、きっとそのことに気づかない。
=2013年9月3日掲載=