わたしの記憶が定かならば、首都圏のJR、私鉄、地下鉄各線の駅にトイレットペーパーが常備されるようになったのは、五年ほど前のこと。
以前とは雲泥の差で快適になったのは事実だ。とはいえ、トイレという空間は、そうそう清潔にはならないようである。床にペーパーのちぎりかすが散乱していたり、見るも無残に汚れていたりすることも多い。
ダイエット効果を期待して、水を毎日二リットル飲むことにしているわたしは、始終まゆをひそめながら、都内各駅のトイレを多用していた。
先日、せっかちに、入口近くの個室に向かいかけた足が、ふと止まった。たまには一番奥まで行ってみよう!と、なぜか、ひらめいたのである。
驚いたことに、未踏のドアの向こうは、ピカピカであった。一番奥の個室には、きれい好きな「トイレの神さま」が住んでいた。まさかそんな?しかし、それからというもの、どこの駅で試してみても、結果は同じ。
いつも汚れているように思えたのは、他でもない、わたしがいつも必ず、入り口近くに飛び込んでいたせいだった。状況をつくった張本人は、わたしの画一化した行動パターンだったのである。情けない。
駅のトイレ一つでさえ、このありさまである。世の中を変化させなければならないときに、変化させまいとする、反対のエネルギーが働くのはなぜか?
敵は、じぶんのなかにいる。
=2012年5月3日掲載=