最近、映画はスマホで見ている。お手軽で楽チン!
そんな中、めずらしくこの夏「侍タイムスリッパー」を映画館で見た。アニメ以外をスクリーンで見るのは、8年前の「カメラを止めるな!」以来かも。
内容は、もし幕末の会津藩士が京都・太秦の時代劇撮影所にタイムスリップしたら? というSF仕立て。映画の作り手の思いが全編にあふれる快作だった。
すると、見ているわたしにも、映画愛が蘇ってきた。何しろ幼い頃はわが街(須賀川市)にも、4つの映画館があったのだ(中央館、須賀川座、ピオニ、東映)。とりわけ、マカロニウエスタン好きの父のひいきは、ピオニだった。
来客のない日曜日。家族で時々、母方の祖母の家に顔を出した。昼食が済むと、父は目と鼻の先にあるピオニのビルの中に吸い込まれていった。しばらくして遊び飽きたわたしも、ヨチヨチと父の後を追う。小さな子どもは、余裕で顔パスなのである。
最初は暗くて何も見えない。目が慣れても、立ちこめるタバコの煙で視界は効かない。「あっちだべ」と指差す親切な人のおかげで、ようやく父を発見。たいてい満員の通路での立ち見だった。大人たちの股下を抜けて父の足元に辿り着き、肩車をせがむ。だから、クリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマの顔を覚えたのは、高い肩車からの目線だ。
6歳の冬。妹が生まれると、2週間ばかり祖母の家に預けられた。その時、映画館の灯りが一晩中消えないことを知った。オールナイト上映の週末だけではない。平日も、ピオニの前の広場は真昼のままだった。
街の太陽だった映画館が今はもう一軒もない。時の流れは残酷だ。サヨナラだけが人生か? そんなことを考えながら、自分もタイムスリッパーになっていることに気づくのである。
=2024年10月25日掲載=