



大手町から快速電車で30分。住宅だらけのわたしの街にも、行政が「生産緑地」に指定した小さな畑がポツポツ点在している。
ランニングコース沿いにあるテニスコート3面ほどの畑でも、農家の方が、アブラナやナス、トウモロコシやソラマメなど季節の野菜を栽培している。
昨年の夏、道路と畑の境目に1本のプラカードが出現した。看板部分には「メロンどろぼう君、神様は見てるよ」と太いマジックの文字で書かれている。冬を過ぎた今も看板は立ったまま。きっと、犯人はまだ捕まっていないのだと思う。
怒りを抑えてやさしく諭すこの文字列は、あまりにも日本人そのもので、見るたび鼻の奥がツンとする。
「お天道様が見ている」「バチが当たるよ」「エンマ様に舌を抜かれる」……神仏を信じながら大人になったわたしたちの倫理観は、このような物差しを、今でも手放してはいない。そのうえ、日本社会は、あきれるほどのお人好しだ。「ひょっとして悪人だったら」とか「もし悪用されたなら」などの視点は、存在していないかのようである。物差しの基準になっている目盛りは、性善説だ。
「心から悪い人なんていない」「信じれば人は変わる」「話せばわかる」「北風より太陽」……わたしたちはそのように育てられ、大人になってしまった。
だが、島国のお花畑はもうおしまい。性善説を信じるなら、同時に性悪説も持ち合わせないと「正直者がバカを見る」ことになる。
そのような意味でも、農家の方が玄米袋の中に位置情報を発信するGPSを仕込んで、常習のコメ泥棒を捕まえた先日の青森県の事件はあっぱれだった。
わたしたちも勇んで、性悪説を合わせ持った、スーパーお人好しに進化しようではありませんか!
さて、東日本大震災の翌年に連載を始めたこのコラム。物事は止め時も大切なので、昨年の春「あと1年」と決めていました。ふくしまを近くに思うことのできた13年と309話。お読みいただき、ありがとうございました。
=2025年3月28日掲載=

